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2012年12月18日火曜日

リア・クロセトーがイタリアでデスデモーナ役!



「おや、まあ!」12月5日付け朝日新聞を見てたら見た事のあるような人が写真に! アドラー・フェローのリア・クロセトー(Leah Crocetto)に似てるじゃない!? 記事をざーっと見るとやっぱりオペラ歌手のリア・クロセトー! 新聞記事では多分イタリア語読みの「リア・クロチェット」って表記されてるけど同一人物。サンフランシスコ・オペラで歌ってたときにちらっと痩せたんですが、頬の具合を見ると、その状態を保つのに成功してるみたい。

イタリアのフェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)の「オテロ」でデスデモーナ役をやってるよう。ついにヨーロッパ・デビューを果たしたんですね。おめでとう、レア! 来年の4月に東京でオテロを上演、そこでもデスデモーナを演じる予定のよう。

すると12月12日付けの朝日新聞にもっと大きな記事がカラー写真付きでてるじゃないですか。そうか、朝日新聞主催なんですね。


どんなふうにレアがデスデモーナを演じてるかなっとYoutubeで検索してみたらありました、ありました。 リアらしい感情を丁寧にこめた歌い方とコントロール。サンフランシスコ・オペラは「テューランドッド」のリウ役で正式デビューして以来、かなりおっきな役ができると思ってましたが、次の大役がデスデモーナとは思ってませんでした。彼女には何があってるかなー。ちょっと思いつきませんが、デスデモーナは性格的にあってるかも。

クンデ,声もいいしなかなかですね。サンフランシスコ・オペラに来た事あるんですが、なんかの都合で見に行けませんでした。

英語のリングはこちら (Click here for English)。

2012年10月2日火曜日

2012年サンフランシスコ,秋のオペラの「キャプレット家とモンタギュー家」

ベリーニの作品で、初めて見るオペラ。「ロミオとジュリエット」のオペラ版ですが、シェイクスピアの話とは違うところあり。でも全体では、やっぱり悲壮なロミオとジュリエットの話。

ロメオを演じたのは私の大好きなジョイス・ディドナト(Joyce DiDonato)。以前「セビリアの理髪師」でロジーナを、その後「バラの騎士」でオクタビアを演じたんですが(これは見た記憶がないんですけど)、なるべくはやくサンフランシスコに帰ってきて欲しかったんですが、今回まで待たなくてはなりませんでした。

メルロ・オペラという、サンフランシスコ・オペラ歌手養成プログラムの出身。ドロラ・ゼイジックと同様、国際的に有名になってしまったので、今日まで無視されちゃったんだと思いますが、ああ、ずいぶん成長したなーと思いました。暗くて辛く、最後はジュリエットが死んだと誤解して毒薬を飲んでしまうロメオの役を見事に演じきりました。

この演出では、ジュリエットと手をつないで、舞台上の一線を超え人々から離れ、空中のどこかを見つめながら、舞台前方へ歩むところで終わります。生きてるときは葛藤ばかりの2人が、初めて同じ方向に進みながら終わるこの終わり方、「...」という感じが出てて、いいと思いました。

このオペラでは、ロミオとジュリエットの恋は、苦しく辛い恋。それを丁寧に感情をこめて表現するジョイスのロミオ、キャプレット家に平和を申し出る最初の歌、ジュリエットを説得しようと命をかけるロメオの歌に、涙がでました。

ジュリエットを演じたのはニコール・キャベル(Nicole Cabell)。サンフランシスコ初出演。新人と思いますが、才能ある声。とは言え、ジョイスの声の方が私好み。2人でデュエットをする場面がいくつかあるんですが、ジョイスがニコールに合わせてハモる声の美しい事、それを聞くだけで満足のゆくパフォーマンス、しっかとサンフランシスコを征服しました! 

パフォーマンス中、ロミオはジュリエットを見つめるときは見つめて歌うのに、ジュリエットはほとんどロミオと目を合わせません。まだ役者じゃないんですね。
サンフランシスコ・オペラのウェブサイトからのスナップショット。ジョイスのロメオとニコールのジュリエット。まだ初日のビデオがアップロードされてないようなので残念!

ベリーニの「ロミオとジュリエット」では、社会の矛盾がジュリエットというボディ、一身に集中。「あなたを愛しているけど、家族は裏切れない、私の心はすでにあなたのもの、でも私達がこの世で結ばれる事はありえないの」と、愛を成就するには死しかないことを示唆、全体のプロットが、「死」に向かって進んで行きます。オペラ全体を通じて、ロミオの意に添えずに苦しみ、家族の強いる結婚式におののくジュリエットは、当然ですけど、病気っぽく演出されてます。例えば、トイレの手洗い台の上に飛び乗って歌ったり、下着での登場がほとんど等。でもこんな苦しみに遭遇したら、誰だって精神的に影響をうけるじゃないですか。

舞台のデザインはいかにも前衛好みのドイツ。例えば、馬のサドルをまるで剥製の動物の群のように天井からつるさげ、戦場の騎馬群を連想させます。ジュリエットとロミオが再会する場面では、空中に45度の角度で飛び上がるように吊るされていて、つるんでいるんだけど抱き合ってるわけではない真っ白い男女の像が、2人のこの世での関係と、あの世への旅立ちを示唆してるよう。

そんな中でカラフルなのは、ジュリエットの結婚式の場面。結婚式そのものは描かれませんが、着飾った女性たちのドレスで示唆、このドレス群が、2012年「VOUGUE」XX月号特集っていう感じの華やかさ。全女性が大きな花を口に加えて、顔の半分を隠してしまうところが妖しくグーでした。ロミオも女装で招待客として潜入、ベージュ調ドレスがよく似合ってて素敵でした(写真左中央あたり)。ジュリエットのウェディングドレスも今はやりの「ボーグ」的。下は結婚式を示唆する舞台の写真。


10/2/12:ビデオがパブリッシュされたのでリンクしておきます。

新聞のレビューと写真はこちらです。

10/5/12:アナ・ネトレブコのジュリエットとジョイスのロメオ。

ジョイスのロジーナがyoutubeにあったのでリンクしておきます。

2012年9月25日火曜日

2012年秋のサンフランシスコ・オペラの「リゴレット」

ヴェルディの「リゴレット」は好きなオペラの一つ。四重唱中、涙をはらはらと流すさまを曲にしたようなジルダの悲しみの歌、ジルダと、ジルダの部屋に忍び込んだガルティエ・マルデ(実は伯爵の偽装)が、別れを惜しんで歌う熱い「さよなら、さよなら」の二重唱、ガルティエ・マルデが去った後に、「ああ、なんて素敵な名前なの」と、「ロメオ、ロメオ、なんであなたはロメオなの」的な恋の歌が、宝石のように散りばめられた王冠のようなオペラです。

今回は二組のキャストが交替にジルダ、リゴレットとマントヴァ伯爵をやったんですが、ジルダは、セカンド・キャストで歌ったロシア人のアルビーナ・シャギムラトーバ(Albina Shagimuratova)の方がぴったりと思いました。透き通るソプラノ、高音が美しく、まだ「娘」の段階の女の子を感じさせる声。

Youtubeにアルビーナの歌う「ああ、なんて素敵な名前なの」がアップロードされてるのでリンクしておきます。サンフランシスコの方が、透き通った感じの声でした。アルビーナは6月のサンフランシスコ・オペラで「夜の女王様」をやった人。
マントヴァ伯爵は、オープニング・キャストのフランシスコ・デミューロ(Francesco Demuro)の方が全然よかったです。いつも一定の、はりのある声。Youtubeのビデオをリンクしておきます。デミューロさんが、またサンフランシスコへ帰ってくるのを楽しみにしてます。

今回の制作は、舞台にあがるのがこれで三度目ですが、舞台デザインとして優れてると思います。青や赤のライトを効果的に使ってストーリーにめりはり。また貴族の男達が舞踏会できている衣装に、面白いのが多々ありました。
第2幕では、上の舞台の真ん中に運河が出現。今回初めて気づいたんですが、運河は、舞台の表面に、黒とネズミ色のツートンカラーのプラスチックシートがはってあるだけ。遠くから見ると、暗闇で鈍く光る運河のように見えるんです。

リゴレットはヴェルディの傑作中の傑作(次が「イル・トロバトーレ」と「運命の力」じゃないでしょうか)。サンフランシスコ・オペラのビデオクリップをリンクしておきます。 リビューと写真はこちら。

レビュー中にデミューロががっかりのパフォーマンスと書いてありますが、私が見たときはすっかり回復、素晴らしかったです。

追記:リゴレットは今まで4回見たんですが、一番最初に聞いたギルダは誰だったのかずぅーと思い出せませんでした。今回、インターネット検索で、あの時のギルダはデザレ・ランカトーレ(Desiree Rancatore)で、彼女の国際デビュー舞台。まだ学生のように若く、細くて長いカーリーヘアの金髪を小刻みにふるわせながらハラハラと泣く(四重唱)のを見て、彼女の悲しみに共感、あまり美しいギルダに感動したのでした。

2012年7月2日月曜日

サンフランシスコ・オペラの英語版「魔笛」

2012年、夏のサンフランシスコ・オペラの第三弾は、英語版「魔笛」。

英語版なんて大丈夫かなと思ったんですけど、聞きやすーい! せりふの全部が全部、わかるわけじゃないんですが、字幕を見なくていいのって楽。イタリア人やドイツ人は、こんな感じで聞いてるのか!

聞きやすい一方、モーツアルトっていうか、あの頃の貴族って女性蔑視というか、そうしたい欲望で満ちあふれてるというか、「女はこれこれこうだから、まともに聞いちゃいけない」風の歌詞が、あちこちに散りばめられてるのに気づかぜるを得ず、ちょっと不快。コンテクストが違うのでまともに今風に受け止めるべきではありませんが、子供が多かったんで影響悪いという感じ。お客さんもざわざわしたり、困った風、あきれ風の笑ったりでした。

ハイディ・ストーバ(Heidi Stober)がパミーナ、彼女、一息の声のボリュームをどんどん上げてゆくのが特に上手(アンジェラ・ゲオルギューにはかないませんけど)、テクニシャンなんですね。今までの彼女のパフォーマンスの中では一番上手にやってました。

夜の女王をやったのはアルビナ・シャギムラトーバ(Albina Shaginuratova)という人だったんですけど、数年前の夜の女王様よりはよかったです。

鳥猟師、パパジーナをやったのはいつもどおりネイサン・ガン(Nathan Gunn)。彼、英語で歌う方が上手。せりふには今風のジョークも入ってて、卵の世話もする「持続狩猟」師だなんて自己紹介し、お客さんの笑いを誘ってました。
鳥猟師のパパジーナ。

三人の侍女が良かったです。英語のせいなので言ってる事が分かりやすいせいなのかも。また「アッティラ」の時も思ったんですけど、舞台の前面は余裕があるんですが、絶対に歌い手が出てこない場所があります。下はオーケストラ・ピットがあって、もし舞台から落ちたら危険だからでしょうが、アッティラの時もニクソン・イン・チャイナでも、今シーズンは、出演者が今まで足を踏み入れなかった前面まで出てきて歌ってる事。ディレクターの指示に間違いありません。聞きやすい事は確かですが、ちょっと疑問印。

サラステロは私の好きなクリスティン・シグモンドソン(Kristinn Sigmundsson)。彼はスイス人なんですが、英語でも上手に歌ってました。

真ん中のカラフルな、歌舞伎役者のような衣装を来ているのがサラステロ。不思議な国のアリス風のブルーのドレスがパミーナ。一幕と三幕でこの衣装を着用。

パミーナの二幕目の衣装。一幕目ではロイヤルブルーに黒白横縞だったんですが、二幕目では黒白渦巻き縞。三段の段々スカートで、前の部分だけ、開いた扇形に渦巻きがついてます。
ドレスの全部が見られなくて残念! ハイディのパミーナとアレック・シャレイダー(Alek Shrader)のタミーノ。

真っ赤な夜の女王様の衣装、特に帽子はエレクトニクス時代にぴったり! すごく気に入りました。

今回の魔笛は子供の観客が多く、子供の笑い声があちこちで。動物が受けてて、特にパパジーノとパパゲーナが歌ってるときに出てくる鳥の子供が、みんなの喝采を浴びてました。
  7月10日追記:今回の魔笛のビデオクリップがあるのでリンクしておきます。 新聞のレビューと写真はこちら。写真は16枚もあります。  

2012年7月1日日曜日

サンフランシスコ・オペラのグランドオペラ、「アッティラ」

2012年、夏のサンフランシスコ・オペラの第二弾はヴェルディの「アッティラ」。

お話: フンの国王、アッティラが、ローマ遠征にのぞみますが、捕虜にしたアマゾンのような女性軍団隊長のオダベラの意気が気に入り、自由だけでなく、自分の剣まであたえます。オダベラは野蛮人であるはずのアッティラの見かけとは違う寛容さに心をひかれるんですが、婚礼の夜、父王のかたきであるアッティラを刺殺、仇をとるというお話。

オダベラの他、ローマ王の使者である将軍、エジオと、アッティラの信頼の深い奴隷(昔は征服すると負けた側を奴隷にしたんです。労働者不足だったんですね。)のウルディオと、オダベラの婚約者、フォレスト、がメインキャラクター。2人とも道理あるアッティラにひかれ尊敬しますが、それそれ個人の思惑でアッティラを裏切ります。

エジオの場合: 「ローマ王といってもたかが子供、そんな子供がアッティラと和平交渉を結んだからすぐにローマへ帰れとはなんだ。ローマ王が一番恐れているのはアッティラでなく、武勇で名高いこの私。私はアッティラを討つ!」 というわけで、アッティラが主催する和平協定記念のディナーパーティーで、ウルディオを巻き込んで、アッティラを毒殺する計画を立てます。
写真はイタリア人バスのフェルシオ・ファラネット(Ferruccio Furlanetto)が演じるアッティラと、バリトンのクゥイン・ケルシー(Quinn Kelsey)が演じるエジオで二重唱。

オダベラの場合: 父の仇をとらねばと思いながら、「あのお酒を飲んだらアッティラは死んでしまう!」と、アッティラの手から毒入りの杯を叩き落とします。アッティラは彼女にご褒美として、自分のワイフ、王妃にしようとします。しかし父の仇をとらねば裏切り者になってしまうと、婚礼の夜にアッティラを刺殺。

フォレスト:オダベラを愛するフォレストは、オダベラがアッティラと話してるのを見て猛烈にジェラシー。「愛」という名のもと、オダベラに、「敵方の王と親しく話をするなんて、お前は裏切り者だ!」と決めつけ、最後までプレッシャー。攻めに出る直前に「こんなときに嫉妬してる場合じゃない」とエジオにたしなめられるほど。

アッティラは、「お前達3人は、ローマとの和平交渉が成立しても、まだ裏でこそこそと策略をねってるのか!」を最後の言葉に、オダベラの刃に倒れます。

久々のグランド・オペラ。コーラスの人たち全員とエキストラで舞台はいっぱい。コーラスが入るとオペラに厚みが出て本当に豪華。キリスト教臭いオペラはあまりにプロパガンダすぎて好きじゃないですが、のりとブリーチが効いてそうな白い法衣がライトを浴びてパーッと浮かび上がりサンサンと映えるとスペクタクル! キリスト教徒だと神々しく感じて、思わず十字をきるなんてことがあるんじゃないかと思います。もっともアッティラが支配してたのは5世紀、こんな真っ白な衣装はあり得なかったでしょう。

上のスナップショットで右端の法皇役を演じてるのはサミュエル・ラメイ(Samuel Ramey)。1991年、サンフランシスコ・オペラが同じアッティラを上演したとき、アッティラ役をやったのは彼でした。それを含めてサミュエル・ラメイを何度が聞いたことありますが、ワールドクラスのバスバリトン。現在70才ですが、さすが声は昔のまま。

オダベラを演じたのはベネズエラ人ソプラノのルクレシア・ガルシア(Lucrecia Garcia)。アニタ・ラチベリシビリに似てる、私の好きなタイプの声で、会場を圧倒。目がくりくりと大きく、ポケモンの可愛いキャラクターみたい、それが「胸にさらしをまいて戦う」と、大きな剣を空に振り上げてキッとにらむとなんか可笑しくて、会場に笑い声。もちっと痩せると前か後ろかがよくわかるようになると思うんですけど。2012年夏シーズンで最大のゴージャスな声をしたソプラノでした。

フォレストを演じたのはメキシコ人テナーのディエゴ・トルレ(Diego Torre)。よかったですけど、歌の最後、もうちょっと声をのばして聴衆を詠嘆させて欲しいというその手前で終わっちゃうんで、残念。

たまにはグランド・オペラもいいもんです。ここに初日の公演のビデオをつけておきます。 新聞の写真とレビューを見たい人はこちらへ

2012年6月21日木曜日

ジョン・アダムズのオペラ、「ニクソン・イン・チャイナ」

2012年サンフランシスコ・オペラ、夏のシリーズは、「中国のニクソン (Nixon in China)」で幕開け。

現在のアメリカと中国の関係を考えると、ニクソンの中国訪問はクラっとするくらい遠い昔の出来事のような気がしますが、オペラの内容はすごく今的、筋の組み立て、構成もうまくできてて面白かったです。

キャラクターの造り方が上手。

ニクソン:飛行機のタラップを降りてくると、「この瞬間を世界が実況中継で見てる、あそこにいるのは周恩来、周恩来と握手するなんて! 自分は歴史を作ってる! 世界が自分を見てる!」 幕開けと同時にニクソンのキャラクターをばっちり設定。ブライアン・ムリガン(Brian Mulligan)が演じます。

ニクソン夫人:2幕目に彼女の歌うアリアがあるんですが、「私は貧しい家に生まれた、だから毎日をクリスマスのようにすごすの...」「(今はこうして世界を巡ったり、世界のトップの人たちと挨拶したりしているけど)、運ほどあてにならないものはない、人の運命は生まれた時から定まってるのね。」

当時中国の誇りの、ガラス細工をつくる近代的工場でガラスの象をもらい、「これはものすごく珍しいものなんでしょ?」と尋ねると、「この工場ではこのようなガラスの象を一日数百個作ってます。」ここで場内に笑い声。ユーモアもあるオペラです。

赤い中国とアメリカって、農民が中国共産党のトップになったり、庶民の子供がハイテク会社の社長になって大統領から招待されたり等、個人の階級移動性という点で似たところがあるのが愉快。どちらも革命を経験してるのが共通点。

ニクソン・イン・チャイナというタイトルなので、ニクソン大統領についての話と思いがちですが、2幕目ほとんどを、ニクソン夫人の動向と心の動きに費やしてるのもこのオペラの現代性、またアダムズやアリス・グッドマン(リベレット)やピーター・セラーズ(ディレクター)のジェンダー感が垣間見えて面白い部分。マリア・カノーバというロシア人ソプラノ(Maria Kanyova)が歌います。

毛沢東:いつも秘書のような女性が数人ついていて、痒いところにいつでも手が届くようになってます。男の望む物はイデオロギーには関係無しというポイントをうまくついてます。

老いてるとはいえ観察眼はなかなか鋭く、「建国者の次には、金儲け屋(が出てくる)。」この台詞が数度出てきます。アメリカも中国も同じってことですね。

周恩来に毎日のことはまかせ、将来を憂える老人マオですが、共産中国をつくってひっぱてきたのはすごいな〜と思ってしました。中国が本当にひどい状態だったんでしょうけど。サイモン・オニール(Simon O'Neill)というテナーが演じるんですが、体が大きく背が高いので毛沢東役がぴったり。
ニクソンと周恩来

江青夫人:夫毛沢東の威光をかりて、自己中心的に権力を揮う、現実でもときどきお目にかかるタイプ。こういうのに権力をもたれるとまわりが不幸。「私はマオの妻」という唄がすごくうけてました。ヒュー・ジャン・リー(Hye Jung Lee)という韓国人ソプラノが歌います。

音楽:ジョン・アダムズ(John Adams)の音楽は劇的な部分や、メランコリーな部分、躁や鬱的部分があってなかなか、さすがと思いました。中国にあやかって言うと、空を飛んでる、まだ細くて透明な子供の「龍」のイメージ。すでに古典的音楽の領域に入っていて、これから曲として未来の各時代を飛びながら、いろいろな解釈を経る中で筋をふくらませていくのだと思います。
ニクソン夫人

一幕目、ニクソンがマオに初めて合い、話が始まるやいなや、ニューヨーク株式市場や中国国債発行の話が出ます。マオが「建国者の後には、金儲け屋」と最初に言ったときだと思うんですけど、オバマの演説を急に思い出して可笑しくなりました。オバマがデトロイトを救うため資金融資を決定をした時、そんなお金を費やしても、日本の自動車工業にこてこてにやられてるアメリカ自動車工業が救えるかという大疑問があったんですね。その危惧を払うため、オバマが「(今どん底の)GMの株を買わない方が不思議だよ」とテレビ演説でアドリブで言ったんですよ。このオペラで、政府支出で生じる余波の大きさを具体的に理解。そこんとこは共産圏も資本主義圏も同じですね。
中国主催のディナーパーティー。赤い服を来てるのがニクソン夫人で、高い台に登って演説するのはニクソン。中央のテーブルでニクソンを見てるのは周恩来

構成:第二幕目が、文化大革命中によく演じられたバレエが演じられるんですが、大事な部分なので、もっと本格的に踊って欲しかったです。サンフランシスコ・バレエが演じればいいと思ったんですけど、夏の巡業公演に行ってて留守だったみたい。

中国との国交を開くという先見の明のあったニクソン、ウオーターゲートのようなスキャンダルをおこし、更迭にあいましたが、このオペラのおかげで、永遠の生命を授かりました。歴史の皮肉ですね。

ニクソン・イン・チャイナの初日の公演のビデオをリンクしておきます。

追記:6月22日にもう一回見たんですけど、周恩来もキッシンジャーもニクソン夫人も、数段上手に歌ってました。オーケストラもバレエも良くなってました。特にニクソンを演じたムリガンは、すばらしく、サイモン・オニールを凌ぐ勢い。カーテンコールではムリガン、砲丸投げでもするように、空に向かってやっと拳をふりあげて、体全体で自己のパフォーマンスに満足の意を表現、私も同感! このパフォーマンスで、アメリカを代表するオペラ歌手になる日は近いと思いました。

周恩来が、一言、「私には絶対言えないことがある」というところがあります。なにも言わないのでわかりませんが、彼の養女は、江青夫人の力を背景に逮捕され、拷問のすえ獄中死をとげています。周恩来が失脚することなく、最後まで政府中央で生き延びられたのは、彼の手腕や深い洞察、生涯を捧げての献身的な努力、建国をまとめていく経験だと思いますが、彼女の凄絶な死の代償ということもあるんじゃないかと思いました。もっとも毛沢東も周恩来も、口で言えない、もっとひどい事をたくさん目撃し、経験してきたとは思いますが... そんなこんなの長い中国革命を考えると、デモクラシーがまだましなのは、権力闘争をめぐって、流血に発展する陰謀がものすごく少なくなる点かなと思ってしまいました。お金が取って代わるでしょうけど。

追々記:観客は、白人のお年寄りの人がいつもより多かったです。「骨接ぎ師の娘」という中国からサンフランシスコへ移民してきた女性三代についてのオペラがプレミアされたとき(これも素晴らしいオペラ、長生きすると思います)、中国人が多かったですが、今回は中国人はあまりいませんでした。中国人にとって文化大革命はあまりに生々しい思い出で、舞台で見られるほど遠い出来事じゃないんだなーと思います。。

ニクソン・イン・チャイナの写真、またはレビューを読みたい方はこちらをクリックしてください。

2011年11月20日日曜日

アニタ・ラチベリシビリの「カルメン」、ダイナモ!

幸運!

本当はケイト・アルドリッチ(Kate Aldrich)がサンフランシスコ・オペラの「カルメン」をやる予定だったんですが、妊娠で欠場。で、アニタ・ラチベリシビリ(Anita Rachvelishvili)という人が代役、それが、それが、それが、ものすごい幸運なことにダイナマイト! 

最初のアリア、ハバネラの出だしの一声で、オペラハウスの観客が、「すごいカルメンを聞けるのでは?!」と直感、場内に、急にピーンとした空気が張りつめます。緊張の静けさで一杯の場内は、喉が乾ききった、巨大な空のコーヒーカップのよう、そこへ赤銅色の妖しくも温かく光る、類いまれな響きと力と深さを持った声が、こんこんと注がれたのです。私の斜め前に座っている女性のあごが、文字通り、驚きで下へガクンと落ちるのが見えました。

Youtubeで見つけたアニタのハバネラをリンクしておきます。どこでいつ上演されたのかわかりません。衣装がとてもドンクサ。サンフランシスコのは、2009年7月の、スカラのアニタの衣装ほどモダンではないけど、最初のリンクのよりかはぜんぜんまし。当時のたばこ工場のもようを、時代により忠実に再現したような衣装やセッティングでした。

この写真は、サンフランシスコのカルメンではなくて、こちらのカルメンからスクリーン・ショットで撮ってきたんですが、アニタのカルメンの雰囲気が似てます。リンクしたハバネラも聞き物。ここでの声が一番、私の聞いたのに近いと思います。

このあとアニタが「セギディーリャ」として知られてる唄を歌うんですが、スカラのをリンクしておきます。

第二幕の酒場のシーンの唄。アニタが踊りながら歌うんですが、頭や手や腰の振り方なんかそっくり。サンフランシスコでも、ホセと舞台で横になって、映画なみの愛情シーン。・カルメンになりきる度胸のある、グルジア出身の現代っ子歌手。

彼女の素晴らしいジプシー・ソング。ベルリン国立オペラ公演。ますます大舞台なれしてきてるのがわかります。

同じくベルリン国立オペラからのカード占いの唄とハバネラ。

アニタの唄を聞くだけで、十分に価値ある舞台。彼女のカルメン、大きくお薦めです。


あとは、ホセの婚約者、ミカエラを演じた、アドラー・フェローのサラ・ガートランドがよかったです。

11月22日:新聞にアニタのカルメンのレビューと写真が出てるので、リンクしておきます。

2011年11月6日日曜日

サンフランシスコ・オペラの「クセルクセス王」

幕が上がって最初の5分もしないうちにスーザン・グラハム(Susan Graham)が歌うアリアで、このオペラの成功は99パーセント約束されました。

スーザンの美しい声と、確かなコントロール! 人の気持ちを変えることは誰にもできないという認識がありながらも、自分のことを好きではない人に、自分のことを好きにさせるのは自分の生まれながらの権利と思っている、わがままな王様を堂々と、軽快に演じる、宝塚の男役並みの演技力。三拍子そろってます! でもスーザンの最大の特徴は、複雑な感情を、声に込めて表現できることでしょう。 

下にリンクしたビデオクリップで、スーザンがどのように丁寧に歌っているかが見られます。

品位と、優雅さと、性格の良さが出てる、スーザンならではのクセルクセス(Xerxes)王。背が高いのも幸いしてるんですね。衣装も、そういう王様をばっちりサポート。

サンフランシスコ・オペラには「メロラ・オペラ」という、オペラ歌手になりたい人のための養成コースがあるんですが、スーザン(NYのメッツ所属)も、そこの卒業生なんですね。だから、わりとよく、サンフランシスコに来るのかもしれません。ありがたい事です。

以前に「ウェルテル」に出たハイディ・ストーバ(Heidi Stober)もよかったです。

ディビッド・ダニエル(David Daniels)はずいぶん前に、ジュリオ・シーザーを、ルース・アン・スワンソンのクレオパトラで歌った事があるんですが、当時に比べて声も伸び、ものすごーく上手になってました。カウンターテナーでは、押しも押されぬ、世界のトップになってるんですね。

今回の話題は、ロミルダを演じたリセッテ・オロペサ(Lisette Oropesa)でしょう。声もいいし、パワーもあり、遠慮なく演技力を発揮してますが、やはり経験が浅くて、声が一本気、感情を歌で表現するということは、まだまだです。あまり私の好きなタイプじゃないですが、順調に行けば、これからのアメリカのオペラを支えてゆく一人でしょう。最近オペラに出てくる若い歌手は、全体に水準が高いです。

舞台: ゴルフのパットの室内練習用グリーンみたいな芝生の色はあまりにチープで私の好みじゃないですが(下の写真の絨毯を参照してください)、わざとそういう色を使ってるんだと思います。ギリシャの時代劇をヘンデルの時代の衣装で上演するという伝統にのっとり、ギリシャ的なものとはちぐはぐな物を、わざと舞台で使うという、川柳的趣向だと思います。その結果が、第二幕の屋外喫茶店風の舞台、第三幕では、サボテンの鉢が舞台にゾロリ。このサボテンの場面、気に入りました。(下のビデオ・クリップ参照)

遠景は三幕とも同じで、アリゾナというか、ネバダというか、そういう風。どこまでも続く青い空と、茶色のプラトーと砂漠と乾いた空気という景色。ギリシャだか、メキシコだかの古い遺跡の跡が小さく見えます。

衣装は舞台の登場人物をうまく支えています。
写真: 舞台の雰囲気。向かって右がアトランタ役のハイディ・ストーバ、左がロミルダ役のリセッテ。向かって左のメジャーでない登場人物は、皆、上から下まで、メークアップを含めて灰色。貴族や兵士の役をやっているコーラスの人たちです。

ヘンデルのオペラは、歌声を楽しむオペラ。登場する人が皆、美しい声をしてるし、演技力があるので、この喜劇、十分に楽しめます。今シーズンのベスト(「戦士の心」を除いて)。

初日のビデオ・クリップをリンクしておきます。一番最初に歌ってるのがスーザン。次が、サボテンの鉢の舞台で歌うディビット。その次がパワフルなリセッテ、続いてスーザン。

新聞のレビューのリンクはこちら、写真はこちらで見てください。

2011年10月18日火曜日

サンフランシスコ・オペラの「ドン・ジョバンニ」

新しいプロダクション(制作)の初日だったんですが、皆さん、ウォームアップできてないのか、一幕目は声が小さくてパンチ無し。ルーカス・ミーケム(Lucas Meachem)のドン・ジョバンニ、一幕目は、サングラスをかけたただのおじさん、二幕目で、遅まきながら、女たらしの悪貴族風になりました。

ドンナ・アンナを演じたのは、去年、フィガロで伯爵夫人を演じたエリー・ディーン(Ellie Dehn)。声は好きなんですが、良くなったと思ってると、ウォームアップ状態に戻ったりの繰り返しをしてるうちに、オペラが終わってしまいました。見せ場の高音がちょっとはずれたりして、本人も当惑したような感じ。

ゼリーナの場合は、オペラ・ハウスで歌うには、歌手として、まだ未熟なのかも。サンフランシスコ・オペラ・ハウスは奥行きがメッツよりも深いので、かなりの発声量がないと声が通りません。このため、故パビロッティも、サンフランシスコに来るのを嫌ったと言われてます。(下にリンクしたビデオで最初のメヌエットを歌ってます。)

ドナ・エルビーラを演じたセリーナ・ファノッチア(Serena Farnocchia)は、最初から最後まで、安心して見てられました。声もいいし、張りがあるし、感情も注げるプロ。

一幕のしょっぱなで、ドンナ・アンナのお父さんの騎士団団長は、ドン・ジョバンニに殺されてしまいます。お墓には、生前の装束をまとって椅子に座っている大理石の彫刻(下の写真参照)。

真夜中、ドン・ジョバンニと従者のレポレッロがそのお墓の前を通りかかると、彫刻がちょっと動くような気がしたレポレッロ、「ギャアー!」。ドン・ジョバンニは、幽霊なんか怖くないとばかり、「今夜、是非、私の家へディナーに来てくれたまえ」と、彫刻を招待。すると大理石の頭が頭を上下にふって、承諾の意を示します。

騎士団団長の幽霊がディナーにやってくるんですが、ここは舞台制作上、いつも困る場面だと思います。例えば、ディナー・テーブル上に、突然、ブラックホールが出現した風だったり、爆弾炸裂風だったりで、それまでの話しの内容と比べると、あまりの深刻さ。私はいつも大しらけなんですが、今回の幽霊とのディナーシーンは、今まで見た中でベスト。

顔も手も、頭のてっぺんからつま先まで灰色一色の団長の幽霊。それが怨念をはらすために、墓場の墓石から降りてきて、ドン・ジョバンニの家に来るという、「怖さ」と「真実味」のあるストーリー展開。

残念ながら、この幽霊とのディナー・シーン以外は、あまりにありきたりで、チープで、退屈な舞台デザイン。モーツアルトをやればお客が入ってくると思って、制作費を節約したんじゃないでしょうか。

初日だったので、そのうち、本調子が出てくるとは思いますが、この初日、最後の30分が良かったです。

新聞のレビューと写真をリンクしておきます。

初日のビデオ・クリップをリンクしておきます。三人目のブルーのトップを着ているのがセリーナ・ファノッチア。次がエリー・ディーン。

2011年9月19日月曜日

サンフランシスコ・オペラの「テューランドット」

サンフランシスコ・オペラで、久しぶりにテューランドットを上演。

テューランドットを演じたのはイレーン・セオリン(Irene Theorin)、カラフはマルコ・バルティ(Marco Berti)、出演者全員の歌力もパフォーマンスはベリーグー。聞き慣れたスコア、すばらしい合唱と舞台セットで、安心して、十分、エンジョイできるパフォーマンスでした。
写真:身のこなし方、視線一つで、テューランドットを演じるセオリン。

特筆すべきは二つ。まず、リウを演じたリア・クロセトー(Leah Crocetto)。現在、アドラー・フェロー三年目。これから世界へ羽ばたこうとしている彼女のパフォーマンス。発声では、イレーンやマルコという、同じ役柄を世界の舞台で数十回とやってき長年のプロにはまだちょっとかないませんが、よく彼らに劣らずに歌い上げたというのがすごい。コントロールも確か。

感情をこめて、一音一語、丁寧に歌いあげるパフォーマンスに、観客も確かに反応して、カーテンコールでは、先輩を凌ぐ、嵐のような拍手で迎えられました。このパフォーマンスで、大プロからも、これからのオペラを支えて行く若手として受け入れられたという印象を受けました。これから経験を積み、どんどん伸びるでしょう。

もう一つは舞台。以前に見たのと同じプロダクションですが、舞台の設計、光、照明、コスチュームも含めて、一つの極められたアート。特にテューランドット等が入場するZ字型の、舞台上の「花道」、背景に見える、故宮を連想させる宮殿の壁、遠くに見える、寺院っぽい住まいの屋根の、切り絵的シルエットは意外で、斬新。コスチューム・デザインも、目をひきつけられます。今回は、兵士のコスチュームに目がいきました。写真がのせられないのが残念! 光の使いかたも素晴らしく、等身大でシリアスに演じられる大人のおとぎ話の世界を作りあげます。

オペラというのはどんなものかしりたい人たち、将来、舞台設計に進みたい人も含めて、安心して、最後まで楽しく見られるパフォーマンス。

初日のパフォーマンスのビデオ・クリップをリンクしておきます。

テューランドットのレビューはこちら。

写真だけ見たい人はこちらをクリックしてください。

2011年9月12日月曜日

サンフランシスコ・オペラの「戦士の心」初演

昨夜は、新作オペラ、「戦士の心(Heart of a Soldier)」の初演でした。

イギリス、アメリカ、アフリカ、ベトナムと、イスラム文化が、傭兵・兵士の視線の中で出会い、9/11で、ピークを迎えるという、スケールの大きい異色ドラマ。サンフランシスコ・オペラが、作曲家、クリストファー・シーファニーダス(Christopher Theofanidis)に依頼して、ジェームス・スチュワート(James Stewart)の同題の実話をオペラ化したものです。

お話: イギリス人傭兵のリック・リスコーラ(Rick Rescorla)と、アメリカ人傭兵のダン・ヒル(Dan Hill)1962年のアフリカの戦場で出会います。気のあう2人は、リックのアメリカ人帰化後、米軍に入隊、1965年に2人とも、士官としてベトナムへ。そしてベトコンに囲まれて危うく命を落としそうになるダンをリックが、軍の指令を無視して救出、友情はさらに深まります。

1998年、リックはモーガン・スタンレーに安全部重役として入社、ニューヨークのワールド・トレード・センターのオフィスに勤務。スーザンと出会って再婚します。

ダンはイスラム教に惹かれて改宗、アメリカの市民生活に適合できずに、再び、兵士としてアフガニスタンへ出兵。リックに依頼されて、ワールド・トレード・センターの安全性を検討、双子ビルは、テロリストの地上と空中からの攻撃に弱いという結論に達します。それを基に、リックは、異常時が発生した際の避難訓練を企画し実施。非常時に、隣にいる人とパートナーを組み、歌を歌いながら、オフィスのトップ階(トップは107回でレストラン)の106階のオフィスから、地上へ、階段を使って避難するというもの。重役でも、この訓練をさぼることはできません。

あの9月11日、リックは、ビル管理側の命令を無視して、直ちに避難命令を出し、その結果、モーガン・スタンレーのほとんど全社員にあたる2700人が、ビル崩壊前に脱出に成功、命拾いをしますが、残りの人がいるかどうかを確かめるためにビル内に戻ったのが、リックの最期となります。

戦場での兵士同士の交流や、親友であることの確かめ方などのリベレットがわかりやすく、ユーモアたっぷりで、映画のような感じ。

スーザンもリックも50代で離婚の経験者。出会いの不安と心のときめきを歌うスーザンですが、気持ちが正直に描かれていて感動。リベレットを作る人の力はすごいものです。写真下:リックを演じるトーマス・ハンプソン(Thomas Hampson)と、スーザンを演じるメロディー・ムーア(Melody Moore)。トーマス・ハンプソンがSFでフィガロを演じた時から好きなバリトンです。

ダンを演じたのはウィリアム・バーデン(William Burden)は、ハンプソンを凌ぐ力強いパフォーマンス。また是非、サンフランシスコに来て欲しいです。写真下:イスラム教への改宗を決心するダン。

アドラー・フェロー一年目のネイディーン・シエラ(Nadine Sierra)がジュリエットを演じたのですが、役になりきる力、またアリアそのものもよかったです。戦場へ出す手紙に香水をしみ込ませるなんて、以前だったらばかばかしいくらいにしか思わなかったと思いますが、ネイディーンの歌で、命への願いとかが伝わってきました。悲しいことです。写真下:トムを演じるマイケル・サムエル(Michael Sumuel)とジュリエット。彼もよかったです。

今回は、いつもとはちょっと違う人たちが劇場内にたくさん。私のいたところには、アメリカ人軍人用一画が設けられていたので、制服を着た兵隊さんがどんな反応をするかと、ちょっと興味津々。多分、普段はオペラには縁がない人たちと思いますが、でもストーリーがうまく語られてたので十二分に受けてました。

スコアもよかったです。特に始まりの部分は、息を吸い込むと広がる胸のように、スコアが聴覚を解放するようで、これから違った世界へ連れていくんだなと、感じさせます。

2幕目の最期の部分は、演出等々、もうちょっと向上できる余地があると思いますが、第一幕はたいへんうまくまとめられてました。一幕目の最後にモスラムの歌とメロディー(Mohannad Mchallah)が入るのですが、それが欧米のスコアとの相性がたいへんよいのでびっくり、モスラムの旋律の美しさに目が覚める感じ、心をふわーっと背中の後ろの方の、地球上の未知の世界へ広がせる感じです。この部分は、イスラムには拒絶反応を示すアメリカの現状をしっかと意識した、勇気ある演出でした。

私はサンフランシスコオペラのディレクターのディビッド・ゴックリー(David Gockley)は好きじゃないんですが、このような、今までのオペラでは取り上げることがあり得なかった題材を、これまた完全に無視されてきた視点から、異文化に接近し、スノッブと言われる理由がなきにしもあらずのオペラというミディアムで、堂々上演させた力は、しぶしぶですけど、高く評価したいと思います。

Youtubeにビデオクリップがあるので、リンクしておきます。

追記:9/14/11: SF Gateに、オペラのレビューと写真が載ってるのでリンクしておきます。

追記 2: 10/2/11 9月30日最終公演、ハンプソン、世界トップ・プロの実力を十分に見せるパフォーマンス。ダンとの合唱は、2人の力量が見合って心が通い、素晴らしかったです。やはり、初日では、ハンプソンさんの大きな体は、まだウォームアップが十分でなかったのかも。彼が、まだまだ歌える事がわかって嬉しかったです。

2011年8月23日火曜日

サンフランシスコ・オペラ at スターングローブ 2011

今年のスターングローブのサンフランシスコ・オペラの公園は、暑くもなく、寒くもなく、かんかんと日が照りつけるわけでもなく、フォグが入ってくるでも無く、去年と同様に、エンジョイしやすい野外パフォーマンスとなりました。

今年のメインは、嬉しいことに、ドロラ・ゼイジック(Dolora Zajick)、それに2011年のアドラー・フェロウ(Adler Fellow)の人たちが加わります。アドラー・フェロウはオペラ歌手を育てるプログラムで、ドロラ・ゼイジックもかつてはアドラー・フェロウの一員、終了後、あれよ、あれよと言う間に、世界のメゾソプラノになったわけです。
写真は、ヴァルディ作曲のマクベスから、ラグジュ ランディを歌うドロラ・ゼイジック。Youtubeに、以前彼女が歌ったビデオがあるのでリンクしておきます。

私が始めて彼女の歌うのを聞いたのは、サンフランシスコ・オペラが「イル・トロバトーレ」を上演したとき。不気味なジプシー老婆を演じたのですが、すごい声と、迫真の演技で怖くなったくらい。これはお芝居よ、と言い聞かせてバランスをとった次第です。Youtubeに、ビデオがあるのでリンクしておきます。偶然ですが、私が、ドロラの老婆を2回目に見た時(2002年)のと同じシアトル・オペラ制作。

アドラー・フェローは、トレーニング中と言っても、半分はプロフェッショナル。自国へ帰れば、皆、第一線で活躍すると思いますが、特にリア・クロセトー(Leah Crocetto)、そしてブライアン・ジャグデ(Brian Jagde)は、将来、ドロラのように、国際的に有名になるかも。リアはかなりやせた感じ。まわりのアドラー・フェローがほっそりしてるので、ダイエットしてるのかも。その影響が声にも出てるように感じました。痩せると、声の響き方がちがくなるんじゃないかと思います。前の、大胆でリッチな声がもどるよう、発声法を考案して欲しいと思います。
写真(高解像度なのでクリックすると大きくなります):向かって右から、アドラー・フェローの、リア・クロセトー。いつもちょっと不安そうで、口をキッと結んだ、彼女らしい一瞬。そのとなりがスザンナ・ビラー(Susannah Billar)、マヤ・ラヒアーニ(Maya Lahyani)、ナイディーン・シエラ(Nadine Sierra)、サラ・ガートランド(Sara Gartland)、ブライアン・ジャグデ、アオ・リ(Ao Li)、そしてライアン・クスター(Ryan Kuster)。

今秋のサンフランシスコ・オペラシーズンで、リアは「トューランドット」のリュー、ライアンは同オペラでマンダリン、ナイディーンは「マジック・フルート」でパパジーナ、ブライアンは「ルクレチア・ボルジア」でヴィテロッツォ、アオは同オペラでペトルッチ、サラは9/11をオペラ化した新作オペラ、「戦士の心」でパットとアン、スザンナは同オペラでロリータとブライズメイドを演じる予定。

9/12/11: ナイディーン・シエラ(Nadine Sierra)が、「戦士の心」でジュリケットを演じました。スターングローブとは違ったナイディーンで、同じ人物とは気づきませんでした。新顔のプロと思ったくらいです。「戦士の心」のビデオクリップに彼女が歌う部分が入っているので、「戦士の心」をリンクしておきます。

2011年7月5日火曜日

サンフランシスコ・オペラの「ジークフリート」

リング、第3部の「ジークフリート」、第一幕での、三つのナゾナゾの歌もすごくよかったし、舞台デザインと脇役陣がよかったし、第三幕のジークフリートとニナ・シュテメ(ブルンヒルデ)、さらにボタンとのかけあいが、よくできたので、全体で満足、満足のパフォーマンスでした。

よくサンフランシスコ・オペラ公演の脇役で出てる、ディビッド・カンジェロシ(David Cangelosi)がミーメ。ジークフリートより声が伸びるだけじゃなく、注意深く我慢強い、小心者のミーメをうまーく演じる演技力。大きなジャンプで後ろにさがってボタンの様子をみたり、毛糸の帽子を押さえながらダダっと突進する尋常じゃない機敏さ、バスの屋根にするする登って横から降りてくるなど身軽なだけでなく、けっこう危ない動きも平気でやっちゃうんですよ。

上にリンクしてあるディビッドのホームページに行ったら「Out of Closet」というタイトルのブログがありました。この人もゲイかと思って読んだら、以前、サーカスでアクロバットをやってたんですって! 納得! 「どこへ行っても必ず誰かに聞かれるんで、この際、そういう過去をサンフランシスコで告白(Out of Closet)」というわけです! オペラ歌手も、いろいろな「過去の経験」が役に立つんですね。

カーテンコールでも、ニナ・シュテメ、ジークフリートを演じたジェイ・ハンター・モリス(Jay Hunter Morris)の次に大きな拍手をもらってました。


「神々の黄昏」でノルンを演じたロニータ・ミラー(Ronnita Miller)は、「ジークフリート」では、世界の歴史を毎日をつむぐために一日中眠っているエルダ役(歴史は、エルダの夢の中で作られるんだそうです。だから彼女を起こしちゃうと、歴史が止まってしまうわけ)。威厳のある姿勢と声で、ノルンとは違った面を見せてくれました。今でこそ、人間が歴史を作る主役と考えられてますが、ちょっと前までは、神様が歴史を紡ぐと、あちらでは信じられていたんですね。(なお、彼女の歌はビデオクリップに入ってます。)ロニータがダイエットして、ディビッドみたいな動きができるようになったら、重宝がられ、あっちこっちのオペラハウスからおよびがかかるんじゃないかと思いますが。

アルベリヒを演じたゴードン・ホーキンズ(Gordon Hawkins)、去年、「ライン河の黄金」で同じ役を演じたときはパッとしなかったんですが、今年はべリーグー。

ボタンを演じたマーク・デラバン(Mark Delavan)も同様、今年のほうが発音がもっとクリヤーで、伸びて、元気があり、去年より、断然良かったです。

ジークフリートを演じたジェイ・ハンター・モリスは、「神々の黄昏」でジークフリートを演じる、イアン・ストーレイ(Ian Storey)よりよかったです。本当は、モリスは「神々の黄昏」でもジークフリートを演じる予定でした。しかし今年は初日から故障がおこり、医者のすすめで、代役のイアン・ストーレイが「黄昏」のジークフリート役をやってるそうです。

第三幕、ブルンヒルデとジークフリートが出会い、ボタンの約束が実行されるまでを描くんですけど、感情が理性を乗り越えるまでの2人の会話が、ワーグナーの時代のインテリの男女の行動を反映してるようでおもしろいです。

戦士と勘違いしたのが「男じゃない!(この台詞に場内に笑い!)」とわかると、ジークフリートはすやすやと寝ているブルンヒルデ感動し、愛情が芽生えるんですが、100年ぶりに目が覚めたブルンヒルデは「お日さま、こんにちは、光よ、おひさしぶり!」と、もっとマクロなムード。

「ところで、私を起こした英雄はどこ?」と、ボタンの約束を思い出しますが、「今で十分、仲がいいんだから、この関係をこわすような事、する必要ないんじゃない?」とジークフリートに言います。

ジークフリートの欲望はだんだん大きくなって、じりじりと迫るムードになってゆきます。そういうジークフリートをみてるうちに、3テンポぐらい遅れて、ブルンヒルデも興奮してきて、その気になるところで幕を閉じます。

「恐れ」を知らなかった英雄、ジークフリートが、好きな人にまむかって初めて、拒絶されるかもしれないという「恐れ」を抱くというシナリオ、男性優秀社会で、劣である女性を、優である男性と対にするためのコンセプチュアルな仕掛け、「ベーターハーフ」の概念の登場です。まだ新しかったに違いない「ベターハーフ」って考え方をオペラの前面に持ってくるワーグナーって、勇気あるドイツ版「近代人」だったんですね。

概念にもはやりすたりがありますが、「ベターハーフ」は1950年代のアメリカで、また日本でもまじめに語られ、信じられました。だって誰が自分より「劣」なものと関係をもちたいと思うかなー。ちょっとは立場を上げとかないとやる気にならないじゃないですか。

今は女性をベターハーフなんて位置づける必要もありません。女性史的に言うと、まさに「ベイビー、You've come a long way! やっとここまで来たね!」です。

舞台のビデオクリップがタイトルにエンクロージャしてあるので、ビデオを見たい人はタイトルをクリックしてくださいね。

なお来年は、シアトルとメッツで「リング」が行われるようです。

2011年6月7日火曜日

サンフランシスコ・オペラの「神々の黄昏」

休憩を入れて全部で5時間15分、リング・シリーズ中の最長のオペラなんですが、いつのまにか経ってしまう時間でした。

ニナ・シュテンメ(Nina Stemme)のブルンヒルデを聞いてすごいと思ったのが、去年の6月。今回は、長いオペラのせいか、もしくは他の出演者に合わせるためかはわかりませんが、第一幕では、力をセーブしている感じ。しかし第三幕は実力で臨み、他のキャストの追従を許しません。

悪役、アルドリッヒの息子、ハーゲンを演じたアンドリア・シルベストレリ(Andrea Silvestrelli)。誰よりも大きな声なんですが、声の質があまりにのどかで牧歌的。悪者をあやつろうとする、最大の悪玉という感じがしません。こういうキャースティングはなんとなく釈然としません。

始めざわざわしていた観客席も、第二幕ではストーリーに熱中して、座席が静まり返ります。

最初に登場して、今までのあらすじを語るノルンを演じた、ちょっと太りすぎのロニータ・ミラー(Ronnita Miller)とダベダ・カラナス(Daveda Karanas)がよかったです。舞台の前面で歌ってたので、声が聞きやすいせいかも。

今回のリング・シリーズでは、環境破壊をものともせず、自分たちの利益を追求し、戦争にも介入するビッグ・コーポレーションが悪役という設定(それをあやつるのがハーゲン)。神々ばっかりが山の頂にでてくるよりも、こういう設定の方がわかりやすくて、面白いと思います。でも半分以上の聴衆は、こんな現代的解釈に抵抗を感じてると思います。ま、ともかく席の塞がり具合から判断すると、券の売れ行きは良さそう。

一番わかりやすくて身近な舞台設定は、3人の水のニンフが住むライン河。車のタイヤ等の粗大ゴミが散在する河畔、川底や岸には、空のペットボトルの山が。そこへプラスチックの袋を持った三人のニンフがゴミ拾いにやってきます。金(ラインゴールド)を守っていた頃の美しい河を思い出し、嘆きながら歌います。

オーケストラは素晴らしかったです。サンフランシスコ・オペラ交響楽団の元アート・ディレクターのラナクルが指揮。サンフランシスコではすごい人気の彼、私も大好きです。なぜオペラ座を離れたのかはちょっと疑問。

なんとなく不安を呼び起こし、終りも初めも無く繰り返し浜に打ち上がる波のようなこの曲、ワーグナーの作曲家としてのすごさというか、現代性を感じさせます。

なおリンクを付けておいたので、タイトルをクリックすると、ビデオクリップが見られます。

2010年11月22日月曜日

カリタ・マッテイラの「マクロプロス事件」

レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek)の「マクロプロス事件(Makropulos Case)」というのが順等なんでしょうが、カリタ・マッテイラ(karita Mattila)に敬意を表して、上記のタイトルにしました。

ノルウェー人ソプラノのカリタ・マッテイラは、昨今わりと頻繁にサンフランシスコ・オペラに来るんですが、評判負けというのが、私の感想でした。

ところが、今回の「マクロプロス事件(Makropulos Case)」で演じたエミリア・マーティはダイナマイト・パフォーマンスで、今までの印象は帳消し。演技力抜群の、別格オペラ・シンガーへと認識を新たにしました。今回も、一応見ておこう程度で、見たんですが、すでに有名な歌手でも、突然、飛躍して、自分を乗り越えるってこと、あるんですね。それも感動しました。

オペラの筋はというと、世界的なオペラ歌手、エミリアは、実は御年337才。ハプスブルグ家の錬金術士だった父が調合した「不老」の薬を無理矢理飲まされたため、長生きしてるんですが、再び、薬を飲まなければならない時期がやってきました。

薬の処方箋は、昔々(100年前頃)、彼女の生んだ子供を相続人に指定した遺言状と一緒に、タンスの引き出しにしまってあるんですが、そのタンスは、自分の孫にあたるアルバートが相続争いをしている家の中、そして家の現住人は、敵方のプルス男爵。

エミリアはアルバートを助ける気はさらさらないんですが、処方箋を得たいがために、遺言状のありかを教えようと、アルバートとその弁護士に近づきます。そこからこのドラマは始まります。


写真:美しく魅力的なエミリアと、向かって左から、エミリアが自分のおばあさんとは知りようもなく、彼女に恋するアルバートと、やはり彼女に惹かれるプルス男爵。その隣は弁護士のアシスタント、弁護士、プルス男爵の息子の恋人のクリステナ。息子はエミリアに一目惚れ、父親の男爵がエミリアと関係を持つのにショックを受け、自殺してしまいます。

舞台は、白い壁に、黒のペン書きのイメージが基調。エミリアのドレスも白で、全体的にフレッシュな感じで、ファッション誌、ボーグ的な味のある、舞台となりました。
 写真:ウィスキーを飲みながら、エミリアは自分の秘密を明かします。

カリタ・マッテイラは、マノン・レスコーのように、すでに設定されてるような役をやるより、自分でもっと創れ、演じられる部分のある役のほうが、彼女の持ってる力が引き出されれ、向いてると思います。

彼女のアクターとしての才能が光り輝いたパフォーマンス、さらにプルス男爵を始め、まわりのパフォーマンスが標準を上回り、またコミカルな部分もたくさんあって、思わず笑ってしまうオペラなので、お薦めです。
写真:弁護士事務所で出会うエミリアと男爵

初日のパフォーマンスのビデオクリップをリンクしておきます。

写真を見たい人は、こちらへどうぞ。

ただし、英語の字幕を読みつけてない人は、見に行く前に、ネットで筋ぐらいは読んでから言ったほうが、楽しめると思います。

2010年11月8日月曜日

プッチーニの傑作「蝶々さん」と「芸者」のイメージ

今シーズンから新しいプロダクション(制作: 新しい舞台デザイン)になったんですが、こんなに違うかというほど、見られる舞台になりました。

日本人である私には、19世紀後半のヨーロッパが見た日本を、現代アメリカで再構すると、中華風日本民家になるという奇妙さがなじめないんですが、今回初めて、それはさておいといて、プッチーニのマダム・バタフライ(蝶々さん)に、ちょっとだけ心が開いたという感じです。

プッチーニが、同名のお芝居をパリで見たとき、蝶々さんがピンカートンを一晩待ち明かすのを、当時の最新照明技術を駆使して表現したのに感動。夕方が深夜になり、朝焼けがくるのを音楽で表現してみせると言って書かれたこのオペラ。

今回、光っていたのはピンカートン。演じたのは、ステファノ・セッコ(Stefano Secco)。ファースト役を演じたときは失望したんですが、今回のピンカートンは、いままでみた蝶々さんのなかで一番の出来! セッコ、汚名挽回。

今回のパーフォマンスのビデオクリップをここにリンクしておきます。

蝶々さんとピンカートンの新婚の夜。写真はSFgate.com and by Cory Weaver

芸者に売られた(多分武家か公家出身の)蝶々さんは15才でピンカートンと「結婚」、もちろん人身売買を正当化するための結婚ですが、蝶々さんは本気の結婚と思い込み、キリスト教に改心。このため家族から縁を切られたその3ヶ月後、ピンカートンはアメリカに帰国。

3年後、アメリカ人妻をたずさえて、ピンカートンが佐世保に戻ってくるのが、2幕目。

ピンカートンは自分を迎えに戻ってくると憑かれたように信じる蝶々さん。お金も底をつき、少しおかしくなってきてるんですが、それが子供っぽさと混じり合ってかなり不気味。それが絶頂に達するのが、プッチーニの美しい音楽が流れるなか、ピンカートンを窓辺で待ち明かす一晩。聴衆は、ここに怨念執念のおどろおどろしたものを感じるんでしょうが、アメリカに住む、現代日本人の私には、理解をチョウ超え。この場面は、以前の制作のほうが異常性を示唆する点で優れてたかも。

ギリシャ悲劇の「メディア」は、夫の血をひいている子供、三人を殺して夫へ復習しますが、蝶々さんの場合は、生き甲斐である子供の将来が確かなものになると、自分の生きる事には意味がなくなり、死を覚悟。

以前、アメリカ人の「芸者」に持ってる「おどろおどろしい」イメージについて、書いた事ありますが、今も執拗に変わらぬこのイメージ、プッチーニの「マダム・バタフライ」にも責任はあるんじゃないかと思い始めました。

ラ・ボヘメ、トスカと大ヒットを飛ばし、そのすぐ後に創作したのが、「蝶々さん」。今でも、世界で一番良く上演されるオペラのトップ10に入っているし、サンフランシスコ・オペラでは、トップ3に入ると聞いた事があります。蝶々さんを上演してれば、お客さんが入ってくるので、資金調達のため、2〜3年に一回、上演。こんな事情で、いわゆる西欧諸国で、「不気味な芸者」のイメージが定期的に、再生産されてるんじゃないでしょうか。

今回の蝶々さん、最初からあっと言わせる舞台のお披露目法、また蝶々さんを演じたスベトラ・バシレバ(Svetla Vassileva))も、2幕目では劇的な演技を展開するので、オペラファンにはお薦めです。

もっと写真を見たい人のため、新聞のレビューをリンクしておきます。

2010年11月1日月曜日

ドミンゴの「シラノ・ド・ベルジュラック」

さすがプラシド・ドミンゴ、券が売れて、久しぶりにサンフランシスコ・オペラハウスが満杯、観客の体温で、場内がいつもよりむっと温かい。

70才近いドミンゴ、主役のシラノ・ド・ベルジュラックをどこまで演じ、歌えきれるか、皆、興味津々だったと思いますが、さすが大物プロ、ここぞというところにエネルギーを集中させ、歌い演じきる事をちゃんと心得ているのに感心。


そして集エネの二場面に、私のソウルは感動したんですが、その前に、ちょっと説明。

シラノは剣豪で詩人、哲学者でもあるという、大変、優れた実在の人物なんですが、醜い鼻のため、いとこである、美しいロクサナに愛を告白する事ができません。

そんな気持ちはつゆ知らず、ロクサナは、シラノの部下の兵士で、ハンサムなクリスチャンに恋してることをシラノに打ち明け、危険な前線で、クリスチャンの命を守ってくれるよう頼みます。

クリスチャンもロクサナを好きなんですが、なんせ野暮なんで、気持ちをうまく表現できず、ロクサナの「精神」を満足させることができません。

クリスチャン:ロクサナ、ボクはあなたが好きです。
ロクサナ:  (うっとりとして)どのように好きなのか言って...
クリスチャン:どうって言われても... ムムッ... あなたを好きなんです。
ロクサナ:  だからどのように...? (ちょっとイライラ)

これに困ったクリスチャンは、シラノに相談。するとシラノは、「面白い事を考えついた。君は身体の『存在』をつらぬけ。ボクが言葉を考えよう。」つまり2人で分業して、一人の人間を演じるという提案をします。

(影に見えるのがクリスチャン)

ここで第一の感動の「ベランダ」の場面が始まります。夕闇のなか、シラノは影からクリスチャンに、二階のベランダに出てきたロクサナに語りかける愛の言葉を、伝えます。暗くなって誰が誰だかわからなくなると、シラノは前面に出てきて、ロクサナを愛する気持ちを、とくとくと伝えます。感動したロクサナが、ベランダから降りてくるすきに、シラノとクリスチャンは場所を交換。クリスチャンとロクサナは熱烈な愛のキスをかわします。



結局2人は結婚するのですが、軍人のシラノとクリスチャンは前線に送り出されます。そして前線から、シラノは一日、二通、クリスチャンの名で、愛の手紙をロクサナに送り続けます。

手紙を読んで感動したロクサナは、「この手紙には、私が愛してやまないソウルが、久しぶりに感じられる...」と、危険を犯して前線を訪問。驚いたクリスチャンはシラノに、「ロクサナが本当に愛しているのは、ボクではなく、この手紙の書き主であるあなただ!」と悲しみながら告げ、シラノに真実を告白するようにせまります。

ところが、運命のいたずらで、その日シラノの書いた愛の手紙をふところにいれたまま、クリスチャンは敵の銃弾に倒れます。

夫の死をいたんだロクサナは修道院に入居。シラノは、決まった時間にロクサナを訪問する毎日を送ります。

クリスチャンの死の数十年後、シラノがいつもより遅い時間にロクサナを訪問。自分の死を予感しての最後の訪問なんですが、ここで、2つ目の感動の場面が繰りひろげられます。



ロクサナがふところからクリスチャンの血で汚れた最後の手紙を出して、シラノに差し出すと、シラノは手紙を声をあげて読み始めます。

ロクサナ:「もう暗くなって手紙が読めないはず、それなのに、なぜまるで手紙の内容を知ってるかのように読めるの?」
シラノは手紙を読み続けます。
ロクサナ:「もしかして、手紙を書いたのは、あなたなんじゃないかと思う事があるんだけど、あなたなの?」
シラノ: 「いいや、断じて私じゃない!」

否定を続けているうちに、椅子から転げ落ち、息をひきとります。最後まで、手紙を書いた事を強く否定して...

この場面には、私のソウルもタッチされ、思わず、涙がほほを伝いました。

私:「なぜ、死に際に本当の事を伝えないの?」

シラノの「醜い鼻」は、ほとんどの人が持っている、「劣等感」の代名詞だと思います。私たち、醜い鼻は持ってなくとも、さまざまな劣等感を持ってる事ってあります。

クリスチャンは「体」だけの存在だとしても「美しいマスク」を持った身体、「醜い」が「頭の良く教養のある」シラノと同じように、ロクサナを愛していたのだし、その美しい存在にロクサナは恋をしたのですから、2人に優劣はつけがたいところがあります。

ただ愛した対象が、「洗練された」階級のロクサナだったので、ロクサナの精神は、「洗練された」シラノの精神に感動し、愛したのだと思います。とすると、問題は、「劣等感」ということになります。劣等感のため、愛を告白できないけれども、自分の感情を表現したかったシラノは、クリスチャンの身体を使うという、「戦術」に出たことになります。

ロクサナに告白したとしても、シラノの思った通り、拒絶されるかもしれません。だけど、少なくとも、ロクサナは、「美しいマスク」か、それとも「洗練された心」かというチョイスがあったんではないでしょうか。そして、数十年という時間を、納得して生きる事ができたと思います。

とにもかくにも、私のソウルは、この二つの場面を、熱く、気高く演じたシラノに感動。心を動かせる歌の不思議をまたまた体験したのです。

ビデオクリップをリンクしておきます。

普通の日はまだ券が残ってるんじゃないでしょうか。券が買えれば、お薦めのオペラです。

サンフランシスコの新聞のレビューと写真はこちらで見られます。

2010年9月30日木曜日

サンフランシスコ・オペラ制作の「フィガロの結婚」

サンフランシスコ・オペラの、今回のフィガロは、イタリア人のバスバリトン、ルカ・ピサローニ(Luca Pisaroni)、婚約者のスザンナは、アメリカ人ソプラノのダニエレ・デ・ニース(Danielle De Niese)(写真下)。

このフィガロ、パフォーマンスがまだらで、良いときがあったかと思うと、冴えないときがあったりなんですが、フィガロの役のベテランという感じで、演技は、今まで見たフィガロの中で、一番上手。とにかく愉快で、客席、笑いがあふれてました。サンフランシスコ・オペラ喜劇主演俳優賞というようなのがあったら、私は彼を第一位にノミネートしたいと思います。



スザンナは、始めの方は「大丈夫?」というくらい、声が伸びなかったんですが、緊張が解けてきたのか、だんだんよくなり、2幕目では、フィガロと一緒にのってきました。

歌の方の最大の収穫は、伯爵夫人を演じたエリー・ディーン(Ellie Dehn)。サンフランシスコ・オペラ初出演なんですが、ルース・アン・スワンソンと同じぐらい声が伸びるので、ちょっと驚き。(写真下)


サンフランシスコ・オペラの「フィガロの結婚」は、いつも同じ制作、つまり、舞台デザインも衣装も皆、同じ。どこかの倉庫に保存しておいた舞台装置を引っ張りだして使ってるんだと思いますが、なかなかうまくできてます。

そういえば、伯爵夫人のガウンの色がラベンダーから、ゴールドに変わってました。

サンフランシスコ・オペラの「トスカ」も、いつも同じ制作なんですが、ストーリーをたいへん上手にサポートする舞台デザイン。他のオペラカンパニーのトスカもテレビで見ましたが、サンフランシスコの方が、荘厳。変えてほしくないと思ってます。

話がずれましたが、フィガロはお薦めです。舞台のビデオクリップをリンクしておきます。

新聞の批評をここにリンクしておきます。写真がよく撮れてます。

2010年9月20日月曜日

絶賛、ジュール・マスネの「ウェルテル」

サンフランシスコ・オペラ、2010年、秋の公演が始まったんですが、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」をもとにした、「ウェルテル(Werther)」は、すっごくよい出来!!

まず第一に、出演者のほとんど全員が、最高のパフォーマンス!

シャーロッテを演じたアリス・クーテ(Alice Coote)。今回が3度目のサンフランシスコ・オペラ出演なんですが、歌手として、今が最も円熟している時ではないかと思います。深ーい響きのある歌い方で、耳経由でなく、直接、体の中に入ってきて、心の壁をノックしてやまない感じ。滝になったり、せせらぎになったり、しぶきをあげたり、鏡のようにまわりの景色を映したりする、流れのよう。

「ウェルテル」はかなり近代的なオペラで、シャーロッテは、愛を打ち明けられてあせったり(「私のこと何も知らないのに、どうしてそんなに愛せるの?」)自分の気持ちを否定したり(「私にはフィアンセがいる!」)、ウェルテルの心配に捕われて取り乱し、夫をしらけさせたりという、心の動きの表現が求められるんですが、アリスは、声と演技でやってのける、大変な演技派。

シャーロッテの妹、ソフィイを演じたハイディ・ストーバは、サンフランシスコ・オペラは初出演なんですが、嬉しい事に、アリスに、十分に太刀打ちできる声の持ち主。

写真はシャーロッテとウェルテル。サンノゼ・マーキュリー・ニュースから。

前回、グノーの「ファウスト」で、バレンティンの役をやったブライアン・ムリガン(Brian Mulligan)が、シャーロッテのフィアンセ/後に夫役で、揺るぎないパフォーマンス。

ウェルテルを演じたメキシコ人テナー、ラモン・バーガス(Ramon Vargas)は、絶賛を受けてました。一幕目、アリア数曲のしめくくりが、ちょっとずれるような気がしたんですが、2幕目が進行するにつれ、迫真の演技。

リブレットもよかったです。「君の瞳はボクの地平線」とか、恋をしてる人にしか言えないような台詞が一杯。

ウェルテルは初めて聞くんですが、オーケストラも凄く良かったです。曲の流れや、楽器の使い方が(どこにどの楽器を使う)大変面白いだけでなく、個性のある音色の楽器を使って舞台を進行させるので、上の4人に加えて、5人目の登場人物であるかのような感じ。

ゲーテのオリジナルは読んだ事はないんですが、このオペラを見ると、結構おもしろそうなので、学生のころ、読んどけばよかったと、ちょっと後悔。

ビデオクリップをリンクしておきます。最初の二つがラモン・バーガス、次がアリス・クーテで、オーケストラの面白さがちょっと味わえます。赤いドレスを来たのがハイディ・ストーバ、次が夫役を演じる、ブライアン・ムリガン。

心と外界を舞台化したような、地下と地上のある舞台。地下でウェルテルの心の動き、地上はシャーロッテとの関係や、2人をとりまくまわりの環境が表現され、うまく作ってあると思いました。ただ、根元が銀で、葉っぱがスクリーン・ディスプレイの木、もうちょっとなんとかならないかな。例えば、スクリーンをもっとおっきくし、緑の美しさを強調するとか...

私はアリスに最大の拍手、オーケストラと指揮者のエマニュエル・ビローメ(Emmanuel Villaume)にも、次の最大の拍手を送りたいと思います。

2010年7月12日月曜日

サンフランシスコ・オペラ at スターングローブ

7月4日のアメリカ独立記念日と、毎年、恒例のスターン・グロープ、夏のコンサート・シリーズ日(Stern Grove)が重複。

この日は、たまたま、サンフランシスコ・オペラの番で、独立記念日を祝して、パトリシア・ラセットと、ジョン・リエラという大物を、この無料コンサートに出してきたので、行ってみました。

いつもは、けっこう早い時間にフォグ(霧)が入ってきて薄寒いスターングロープも、この日は、芝生で音楽を楽しむのに最適の気候。ヤンマーサイズの大きなとんぼが、けっこう、いっぱい飛んでます。

大人、子供、おばあさん、赤ちゃん、恋人同士、家族、友達、たくさんの人。私はコンサートが始まる一時間前に、理想的な場所を確保。おしゃべりしたり、プログラムを見たり、ひなたぼっこしながら、開演の午後2時を待ちました。

ジョンのパフォーマンスをビデオで撮ったんですが、長過ぎてアップロードに失敗。パトリシアのビデオは撮影自体が失敗。で、写真にします。(下)舞台上のパトリシア。


アンコールも3回くらいやった、楽しい屋外コンサートでした。

今日は、サンフランシスコ・シンフォニーが出るので、行く予定。でも午前10時現在、ファグが厚く空を覆ってる状態、12時には、散って欲しいんですけど。するとまた、午後は最適な気候になるんですが...

アップデート:やっぱりフォブのため、ちょっと寒かったです。