さすがプラシド・ドミンゴ、券が売れて、久しぶりにサンフランシスコ・オペラハウスが満杯、観客の体温で、場内がいつもよりむっと温かい。
70才近いドミンゴ、主役のシラノ・ド・ベルジュラックをどこまで演じ、歌えきれるか、皆、興味津々だったと思いますが、さすが大物プロ、ここぞというところにエネルギーを集中させ、歌い演じきる事をちゃんと心得ているのに感心。
そして集エネの二場面に、私のソウルは感動したんですが、その前に、ちょっと説明。
シラノは剣豪で詩人、哲学者でもあるという、大変、優れた実在の人物なんですが、醜い鼻のため、いとこである、美しいロクサナに愛を告白する事ができません。
そんな気持ちはつゆ知らず、ロクサナは、シラノの部下の兵士で、ハンサムなクリスチャンに恋してることをシラノに打ち明け、危険な前線で、クリスチャンの命を守ってくれるよう頼みます。
クリスチャンもロクサナを好きなんですが、なんせ野暮なんで、気持ちをうまく表現できず、ロクサナの「精神」を満足させることができません。
クリスチャン:ロクサナ、ボクはあなたが好きです。
ロクサナ: (うっとりとして)どのように好きなのか言って...
クリスチャン:どうって言われても... ムムッ... あなたを好きなんです。
ロクサナ: だからどのように...? (ちょっとイライラ)
これに困ったクリスチャンは、シラノに相談。するとシラノは、「面白い事を考えついた。君は身体の『存在』をつらぬけ。ボクが言葉を考えよう。」つまり2人で分業して、一人の人間を演じるという提案をします。
(影に見えるのがクリスチャン)
ここで第一の感動の「ベランダ」の場面が始まります。夕闇のなか、シラノは影からクリスチャンに、二階のベランダに出てきたロクサナに語りかける愛の言葉を、伝えます。暗くなって誰が誰だかわからなくなると、シラノは前面に出てきて、ロクサナを愛する気持ちを、とくとくと伝えます。感動したロクサナが、ベランダから降りてくるすきに、シラノとクリスチャンは場所を交換。クリスチャンとロクサナは熱烈な愛のキスをかわします。
結局2人は結婚するのですが、軍人のシラノとクリスチャンは前線に送り出されます。そして前線から、シラノは一日、二通、クリスチャンの名で、愛の手紙をロクサナに送り続けます。
手紙を読んで感動したロクサナは、「この手紙には、私が愛してやまないソウルが、久しぶりに感じられる...」と、危険を犯して前線を訪問。驚いたクリスチャンはシラノに、「ロクサナが本当に愛しているのは、ボクではなく、この手紙の書き主であるあなただ!」と悲しみながら告げ、シラノに真実を告白するようにせまります。
ところが、運命のいたずらで、その日シラノの書いた愛の手紙をふところにいれたまま、クリスチャンは敵の銃弾に倒れます。
夫の死をいたんだロクサナは修道院に入居。シラノは、決まった時間にロクサナを訪問する毎日を送ります。
クリスチャンの死の数十年後、シラノがいつもより遅い時間にロクサナを訪問。自分の死を予感しての最後の訪問なんですが、ここで、2つ目の感動の場面が繰りひろげられます。
ロクサナがふところからクリスチャンの血で汚れた最後の手紙を出して、シラノに差し出すと、シラノは手紙を声をあげて読み始めます。
ロクサナ:「もう暗くなって手紙が読めないはず、それなのに、なぜまるで手紙の内容を知ってるかのように読めるの?」
シラノは手紙を読み続けます。
ロクサナ:「もしかして、手紙を書いたのは、あなたなんじゃないかと思う事があるんだけど、あなたなの?」
シラノ: 「いいや、断じて私じゃない!」
否定を続けているうちに、椅子から転げ落ち、息をひきとります。最後まで、手紙を書いた事を強く否定して...
この場面には、私のソウルもタッチされ、思わず、涙がほほを伝いました。
私:「なぜ、死に際に本当の事を伝えないの?」
シラノの「醜い鼻」は、ほとんどの人が持っている、「劣等感」の代名詞だと思います。私たち、醜い鼻は持ってなくとも、さまざまな劣等感を持ってる事ってあります。
クリスチャンは「体」だけの存在だとしても「美しいマスク」を持った身体、「醜い」が「頭の良く教養のある」シラノと同じように、ロクサナを愛していたのだし、その美しい存在にロクサナは恋をしたのですから、2人に優劣はつけがたいところがあります。
ただ愛した対象が、「洗練された」階級のロクサナだったので、ロクサナの精神は、「洗練された」シラノの精神に感動し、愛したのだと思います。とすると、問題は、「劣等感」ということになります。劣等感のため、愛を告白できないけれども、自分の感情を表現したかったシラノは、クリスチャンの身体を使うという、「戦術」に出たことになります。
ロクサナに告白したとしても、シラノの思った通り、拒絶されるかもしれません。だけど、少なくとも、ロクサナは、「美しいマスク」か、それとも「洗練された心」かというチョイスがあったんではないでしょうか。そして、数十年という時間を、納得して生きる事ができたと思います。
とにもかくにも、私のソウルは、この二つの場面を、熱く、気高く演じたシラノに感動。心を動かせる歌の不思議をまたまた体験したのです。
ビデオクリップをリンクしておきます。
普通の日はまだ券が残ってるんじゃないでしょうか。券が買えれば、お薦めのオペラです。
サンフランシスコの新聞のレビューと写真はこちらで見られます。
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