2010年11月8日月曜日

プッチーニの傑作「蝶々さん」と「芸者」のイメージ

今シーズンから新しいプロダクション(制作: 新しい舞台デザイン)になったんですが、こんなに違うかというほど、見られる舞台になりました。

日本人である私には、19世紀後半のヨーロッパが見た日本を、現代アメリカで再構すると、中華風日本民家になるという奇妙さがなじめないんですが、今回初めて、それはさておいといて、プッチーニのマダム・バタフライ(蝶々さん)に、ちょっとだけ心が開いたという感じです。

プッチーニが、同名のお芝居をパリで見たとき、蝶々さんがピンカートンを一晩待ち明かすのを、当時の最新照明技術を駆使して表現したのに感動。夕方が深夜になり、朝焼けがくるのを音楽で表現してみせると言って書かれたこのオペラ。

今回、光っていたのはピンカートン。演じたのは、ステファノ・セッコ(Stefano Secco)。ファースト役を演じたときは失望したんですが、今回のピンカートンは、いままでみた蝶々さんのなかで一番の出来! セッコ、汚名挽回。

今回のパーフォマンスのビデオクリップをここにリンクしておきます。

蝶々さんとピンカートンの新婚の夜。写真はSFgate.com and by Cory Weaver

芸者に売られた(多分武家か公家出身の)蝶々さんは15才でピンカートンと「結婚」、もちろん人身売買を正当化するための結婚ですが、蝶々さんは本気の結婚と思い込み、キリスト教に改心。このため家族から縁を切られたその3ヶ月後、ピンカートンはアメリカに帰国。

3年後、アメリカ人妻をたずさえて、ピンカートンが佐世保に戻ってくるのが、2幕目。

ピンカートンは自分を迎えに戻ってくると憑かれたように信じる蝶々さん。お金も底をつき、少しおかしくなってきてるんですが、それが子供っぽさと混じり合ってかなり不気味。それが絶頂に達するのが、プッチーニの美しい音楽が流れるなか、ピンカートンを窓辺で待ち明かす一晩。聴衆は、ここに怨念執念のおどろおどろしたものを感じるんでしょうが、アメリカに住む、現代日本人の私には、理解をチョウ超え。この場面は、以前の制作のほうが異常性を示唆する点で優れてたかも。

ギリシャ悲劇の「メディア」は、夫の血をひいている子供、三人を殺して夫へ復習しますが、蝶々さんの場合は、生き甲斐である子供の将来が確かなものになると、自分の生きる事には意味がなくなり、死を覚悟。

以前、アメリカ人の「芸者」に持ってる「おどろおどろしい」イメージについて、書いた事ありますが、今も執拗に変わらぬこのイメージ、プッチーニの「マダム・バタフライ」にも責任はあるんじゃないかと思い始めました。

ラ・ボヘメ、トスカと大ヒットを飛ばし、そのすぐ後に創作したのが、「蝶々さん」。今でも、世界で一番良く上演されるオペラのトップ10に入っているし、サンフランシスコ・オペラでは、トップ3に入ると聞いた事があります。蝶々さんを上演してれば、お客さんが入ってくるので、資金調達のため、2〜3年に一回、上演。こんな事情で、いわゆる西欧諸国で、「不気味な芸者」のイメージが定期的に、再生産されてるんじゃないでしょうか。

今回の蝶々さん、最初からあっと言わせる舞台のお披露目法、また蝶々さんを演じたスベトラ・バシレバ(Svetla Vassileva))も、2幕目では劇的な演技を展開するので、オペラファンにはお薦めです。

もっと写真を見たい人のため、新聞のレビューをリンクしておきます。

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