2012年12月31日月曜日
2012年から2013年への年越しソバ
今年の年越し蕎麦は信州戸隠しソバ。 三つ葉の香りがプーン。すごーく美味しかったので満足。
戸隠でできるお蕎麦で、そばの甘皮を取り除かずにひいたのが特徴だそうです。
いつも読んでくれる皆様、良いお年を!
2012年12月27日木曜日
2012年12月18日火曜日
リア・クロセトーがイタリアでデスデモーナ役!
「おや、まあ!」12月5日付け朝日新聞を見てたら見た事のあるような人が写真に! アドラー・フェローのリア・クロセトー(Leah Crocetto)に似てるじゃない!? 記事をざーっと見るとやっぱりオペラ歌手のリア・クロセトー! 新聞記事では多分イタリア語読みの「リア・クロチェット」って表記されてるけど同一人物。サンフランシスコ・オペラで歌ってたときにちらっと痩せたんですが、頬の具合を見ると、その状態を保つのに成功してるみたい。
イタリアのフェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)の「オテロ」でデスデモーナ役をやってるよう。ついにヨーロッパ・デビューを果たしたんですね。おめでとう、レア! 来年の4月に東京でオテロを上演、そこでもデスデモーナを演じる予定のよう。
すると12月12日付けの朝日新聞にもっと大きな記事がカラー写真付きでてるじゃないですか。そうか、朝日新聞主催なんですね。
どんなふうにレアがデスデモーナを演じてるかなっとYoutubeで検索してみたらありました、ありました。 リアらしい感情を丁寧にこめた歌い方とコントロール。サンフランシスコ・オペラは「テューランドッド」のリウ役で正式デビューして以来、かなりおっきな役ができると思ってましたが、次の大役がデスデモーナとは思ってませんでした。彼女には何があってるかなー。ちょっと思いつきませんが、デスデモーナは性格的にあってるかも。
クンデ,声もいいしなかなかですね。サンフランシスコ・オペラに来た事あるんですが、なんかの都合で見に行けませんでした。
英語のリングはこちら (Click here for English)。
2012年12月4日火曜日
日本で最初の展覧会訪問:リヒテンシュタイン展
日本帰ってきて時差ぼけはもうないんですけど、えらーく忙しくて。
電車の乗車券の買い方から、電化製品広告のマークの意味とか、すべて学習のし直しに時間がかかってるってのもあるんですけど。
もうすぐ終わっちゃうし、リヒテンシュタインに行く機会もないかもと、日本で初めての美術展、「リヒテンシュタイン 華麗なる講釈家の秘宝」というのに行ってきました。
地下鉄「乃木坂」で降りるのも初めてなんですけど、駅から開催場所の国立新美術館の入り口へ直通エレベーターがあるのが、道に迷わないっていう点でグー。でも私は「お上りさん」と自覚していて、駅から目的地まで歩いていって東京の路地を勉強してるところなんで、学習の機会を奪われたって感じも。
国立新美術館:コンクリートの塊の建物がちょっと... まるでロスのゲッティー美術館風(Getty Museum)みたい。高い保険金をかけて借りてきた美術品や館所有の美術品を守るというのが趣旨なのかも(見てもらうというよりも)。内部はというと、ガラス窓壁に沿ってコーヒーが飲めるようにテーブルになってるのはグーだけど、オフィスビルみたい。窓一つ一つの形や色、もっと面白くならなかったんでしょうか。
月曜日なんで誰もいないと思ったら、東京のおばさんてこんなに暇なの!って思うほどけっこうな混み具合。すべての出展品の前に人が5〜6人、多いのは十数人いるっていうのはほとんど経験したことがないんでびっくり。そのわりにはトイレの数が少なすぎまーす!
展覧会はわりとよかったです。出典物が、「17世紀オランダ傑作品展」と作者や絵風が重なるのが多くあって、サンフランシスコへのなつかしさがぐぅーと湧いてきて.... ヤン・ファン・ハイスムとかヨーリス・ファン・ソンとか。「当時は花の品種が少なく切り花は贅沢品、だからそれを絵にして留めたんです」と、説明していたドーセントの声が耳の中によみがえるよう。日本にはボランティアのドーセントのシステムがなくて、かわりに音声ガイド(これはもちろんサンフランシスコにも有り)。借りてみましたが、絵の説明に書いてる以上じゃないので、説明書のちっこい字読みたくない人以外は必要ない感じ。
展覧会:見上げる視線を計算にいれた天井画は最初の見所。四つの芸術を描いてますが、そのうちの一つが「絵」で、お年を召した先生が若くてはつらつとした女性のむきだしの肩に手を触れながら絵の教授をしてるところ。いくら先生だって貴族の娘の体なんかに触れることはできませんから、これは観る人、つまり年老いた貴族のおじさん、つまり絵の注文主のエッチな想像力を刺激して「クックック」と喜ばせるためのカスタマーサービス精神で描いたに違いありません。
キッとこちらを見つめるラファエルの肖像画、クラッシックな背景なんですけど、モダンな感じでよかったです。何の復讐を企ててるのか妖しくも美しい仮面をかぶった2人の女の絵。オランダやフレミッシュの、「どうしてここまで緻密にしかも温かく描けるの」という静物画等々。最後にぐっすりと眠る赤ちゃんの寝顔の絵がありますが、首のまわりで薄くすける絹の襟の端がキラキラと光る一瞬を留めたさまは美しく豊かで、見てる私がゆっくりと睡眠をとったような気になり、絵を見た疲れも消えてしまって、こんな絵の並び順を考えてくれた人に感謝です。 注:リヒテンシュタイン展から。
英語版のリンクは(Click for English)こちら(here)。
ゼんぜん違う英語版リンク(Completely different English site is)はこっち(here)です。
もうすぐ終わっちゃうし、リヒテンシュタインに行く機会もないかもと、日本で初めての美術展、「リヒテンシュタイン 華麗なる講釈家の秘宝」というのに行ってきました。
地下鉄「乃木坂」で降りるのも初めてなんですけど、駅から開催場所の国立新美術館の入り口へ直通エレベーターがあるのが、道に迷わないっていう点でグー。でも私は「お上りさん」と自覚していて、駅から目的地まで歩いていって東京の路地を勉強してるところなんで、学習の機会を奪われたって感じも。
国立新美術館:コンクリートの塊の建物がちょっと... まるでロスのゲッティー美術館風(Getty Museum)みたい。高い保険金をかけて借りてきた美術品や館所有の美術品を守るというのが趣旨なのかも(見てもらうというよりも)。内部はというと、ガラス窓壁に沿ってコーヒーが飲めるようにテーブルになってるのはグーだけど、オフィスビルみたい。窓一つ一つの形や色、もっと面白くならなかったんでしょうか。
月曜日なんで誰もいないと思ったら、東京のおばさんてこんなに暇なの!って思うほどけっこうな混み具合。すべての出展品の前に人が5〜6人、多いのは十数人いるっていうのはほとんど経験したことがないんでびっくり。そのわりにはトイレの数が少なすぎまーす!
展覧会はわりとよかったです。出典物が、「17世紀オランダ傑作品展」と作者や絵風が重なるのが多くあって、サンフランシスコへのなつかしさがぐぅーと湧いてきて.... ヤン・ファン・ハイスムとかヨーリス・ファン・ソンとか。「当時は花の品種が少なく切り花は贅沢品、だからそれを絵にして留めたんです」と、説明していたドーセントの声が耳の中によみがえるよう。日本にはボランティアのドーセントのシステムがなくて、かわりに音声ガイド(これはもちろんサンフランシスコにも有り)。借りてみましたが、絵の説明に書いてる以上じゃないので、説明書のちっこい字読みたくない人以外は必要ない感じ。
展覧会:見上げる視線を計算にいれた天井画は最初の見所。四つの芸術を描いてますが、そのうちの一つが「絵」で、お年を召した先生が若くてはつらつとした女性のむきだしの肩に手を触れながら絵の教授をしてるところ。いくら先生だって貴族の娘の体なんかに触れることはできませんから、これは観る人、つまり年老いた貴族のおじさん、つまり絵の注文主のエッチな想像力を刺激して「クックック」と喜ばせるためのカスタマーサービス精神で描いたに違いありません。
キッとこちらを見つめるラファエルの肖像画、クラッシックな背景なんですけど、モダンな感じでよかったです。何の復讐を企ててるのか妖しくも美しい仮面をかぶった2人の女の絵。オランダやフレミッシュの、「どうしてここまで緻密にしかも温かく描けるの」という静物画等々。最後にぐっすりと眠る赤ちゃんの寝顔の絵がありますが、首のまわりで薄くすける絹の襟の端がキラキラと光る一瞬を留めたさまは美しく豊かで、見てる私がゆっくりと睡眠をとったような気になり、絵を見た疲れも消えてしまって、こんな絵の並び順を考えてくれた人に感謝です。 注:リヒテンシュタイン展から。
英語版のリンクは(Click for English)こちら(here)。
ゼんぜん違う英語版リンク(Completely different English site is)はこっち(here)です。
2012年11月6日火曜日
レディ・ガガの名前が植物の属名に!
レディ・ガガ(Lady Gaga)さん、おめでとう! 彼女の名前が、新しいシダ2種の発見に伴って分類しなおされたシダ類の属名になりました。
アメリカにデューク大学っていう私立大学あるんですが、命名をまかされたグループのディレクター、キャサリーン・プライヤー教授によると、「グループのみんなが、レディー・ガガの大ファン。リサーチの際は、ガガの音楽をながすこともしばしば。」それだけでなく、ジェンダーベンダーで有名なレディー・ガガが2010年のグラミー賞受賞のさい着ていた緑色のコスチュームが、新しく属が作られるシダの配偶体の色と形にそっくり。シダは無性生殖と両性生殖を行う、ジェンダーベンダー植物。そんなこんなでレディ・ガガの名前が候補として浮上しました。
写真:レディー・ガガのコスチュームの形が、シダの配偶体にそっくり。デューク大学のサイトのオリジナルからのスナップショット。
でも決定打は、新シダ属のDNAを調べたとき。奇しくも、命名を待ってる新シダ属に属する19種のシダがすべて「GAGA」をDNAで共有、これが他のシダと分類をわかつ決定的な特徴。
19種のシダのうち、2種は新種。コスタリカからの新種の名前は、レディ・ガガの本名の苗字、「Germanotta」からとって「Gaga germanotta」、メキシコで発見された新種には、「リトル・モンスター」とガガが呼んでるガガのファンに敬意を表して、「Gaga monstraparva」と名づけたそうです。「monstraparv」はラテン語で、文字通り「小さいモンスター」という意味。
オリジナルの記事を読みたい人はこちらへ。
アメリカにデューク大学っていう私立大学あるんですが、命名をまかされたグループのディレクター、キャサリーン・プライヤー教授によると、「グループのみんなが、レディー・ガガの大ファン。リサーチの際は、ガガの音楽をながすこともしばしば。」それだけでなく、ジェンダーベンダーで有名なレディー・ガガが2010年のグラミー賞受賞のさい着ていた緑色のコスチュームが、新しく属が作られるシダの配偶体の色と形にそっくり。シダは無性生殖と両性生殖を行う、ジェンダーベンダー植物。そんなこんなでレディ・ガガの名前が候補として浮上しました。
写真:レディー・ガガのコスチュームの形が、シダの配偶体にそっくり。デューク大学のサイトのオリジナルからのスナップショット。
でも決定打は、新シダ属のDNAを調べたとき。奇しくも、命名を待ってる新シダ属に属する19種のシダがすべて「GAGA」をDNAで共有、これが他のシダと分類をわかつ決定的な特徴。
19種のシダのうち、2種は新種。コスタリカからの新種の名前は、レディ・ガガの本名の苗字、「Germanotta」からとって「Gaga germanotta」、メキシコで発見された新種には、「リトル・モンスター」とガガが呼んでるガガのファンに敬意を表して、「Gaga monstraparva」と名づけたそうです。「monstraparv」はラテン語で、文字通り「小さいモンスター」という意味。
オリジナルの記事を読みたい人はこちらへ。
2012年10月31日水曜日
NYを襲ったハリケーン、サンディの事中笑話?
ウオール街のニューヨーク証券取引所を、月曜日と火曜日の二日間にわたって緊急休日にしてしまったハリケーン、サンディ(Sandy)が東海岸を襲ってますが、今、思わず笑っちゃうイメージがインターネットを回ってます。
誰かがいたずらで作ったんだと思いますけど。 典型的なアメリカのガソリンスタンドのサイン。エクソンですね。値段表の下ですが、「ありがとう、サンディ、お陰で当店では、コンドームとローリングペーパーとビールが全部売り切れです。」 lol
ローリングペーパーとは、マリファナを巻いてたばこのようにする、タバコ用巻き紙。アメリカのガソリンスタンドなら、どこでも売ってます。
ちなみに「lol」は「laugh out loud」の略語で、「げらげら笑う」という意味。インターネット上で使うスラング。
誰かがいたずらで作ったんだと思いますけど。 典型的なアメリカのガソリンスタンドのサイン。エクソンですね。値段表の下ですが、「ありがとう、サンディ、お陰で当店では、コンドームとローリングペーパーとビールが全部売り切れです。」 lol
ローリングペーパーとは、マリファナを巻いてたばこのようにする、タバコ用巻き紙。アメリカのガソリンスタンドなら、どこでも売ってます。
ちなみに「lol」は「laugh out loud」の略語で、「げらげら笑う」という意味。インターネット上で使うスラング。
2012年10月29日月曜日
SFで最高のヨガのクラス
ヨガを始めたのには二つの動機が...
その1)母親が高齢者用のヨガを始めてから急に元気になったこと。2〜3ヶ月もしないうちに、電話で話す声につやが。新しい友達できてよかったね、と思ってました。電話の声がさらに元気になってきたので、「お母さん、ヨガで一体、何してるの?」と、ついに根掘り葉掘り。
「なにしてるって...」と、電話での私の追求にたじたじとしながら、一生懸命、説明。「テニスボールを椅子の背と背中ではさんで、ころがしたりするわよ」というのは分かりましたが、あとはさっぱり要領を得ません。
大学にいたとき、ヨガを体操のクラスでとり、「木のポーズ」や「死んだ魚のポーズ」とかやりました。当時タバコを吸ってたんですが、タバコを吸ったあとヨガをやると、いつも決まってものすごーく気持ち悪くなるのに気づき、ヨガってすごいなと思いました。でもタバコはやめられませーんと、ヨガのクラスをドロップしたんです。(注:なお、タバコはその後やめました。)
その2)一年半ぐらい前、友達にヨガに誘われて参加、ルーティーンらしきものをやったら、たいした事なさそうなのに息が切れてヒーヒー、体力が激しく落ちてるのを自覚。
日本からサンフランシスコへ帰ってきた翌日。ヨガが時差ぼけに効果があるかどうか興味をもち、再び参加。結果は、驚きの「効くー!」 いつもは最低三日は苦しむんですけど、ヨガをやった翌日から時差ぼけほとんど解消! こうして週一の「ヨガ」の信者になりました。
私の参加しているヨガのすごーい点は、まず、その会場。荘厳なゴチック教会で高い天井の会場に入ると、自然に現世が遠のき、目がぐるりにめぐらされたステンドグラスへ。心が広がります。午後7時に時刻をつげる鐘の音がお腹の底に響きわたるとき、除夜の鐘ではないけれど、思わず両手を合わせて合掌。
すごい点、その2は音楽の伴奏。ネパールの2メートルくらいある大笛や、シンギングボール(singing bowl)等を奏でるミュージシャンが毎週、交替でやってきてヨガをやってる最中、音楽をかなでてくれます。 写真:シンギングボール。
以前の好みはネパール大笛(下の写真ですけど、この楽器、なんという名前か知ってる人がいたら教えてね)だったんですが、最近の好みはハープのような楽器とバイオリンの二重奏(下の2枚目の写真)。思わず聞き惚れます。ハープをやってる人は美しい声の持ち主で歌も唄います。ホスピスでボランティアもしてるそうです(アメリカのボランティアは日本と違い、本当のボランティアで無償。)
このヨガのクラスは、毎週、火曜日にサンフランシスコ市内のあちこちで行われてる、「寄付金ベース」のヨガのクラスの一つ。参加者が参加する毎に寄付金を出します。普通のクラスだと一回平均10ドル前後なので、そのぐらいがメド。もちろんもっと出す人もいます。寄付金は、ヨガの先生と、ミュージシャンと、場所を提供してる教会で分配。寄付金ベースは、行かない、もしくは行けない日は払わなくてもいいので参加者には便利。
このヨガのクラス、最近はさまざまな新聞で取り上げられたりしてて有名になり、大盛況。参加者は、私が初めて参加したころに比べると、2倍半にはなってるし、現在も増加中。
私にとっては、鐘の音とともに、生涯忘れる事の出来ないヨガのクラスとなりました。これからも健闘を祈ります。
その1)母親が高齢者用のヨガを始めてから急に元気になったこと。2〜3ヶ月もしないうちに、電話で話す声につやが。新しい友達できてよかったね、と思ってました。電話の声がさらに元気になってきたので、「お母さん、ヨガで一体、何してるの?」と、ついに根掘り葉掘り。
「なにしてるって...」と、電話での私の追求にたじたじとしながら、一生懸命、説明。「テニスボールを椅子の背と背中ではさんで、ころがしたりするわよ」というのは分かりましたが、あとはさっぱり要領を得ません。
大学にいたとき、ヨガを体操のクラスでとり、「木のポーズ」や「死んだ魚のポーズ」とかやりました。当時タバコを吸ってたんですが、タバコを吸ったあとヨガをやると、いつも決まってものすごーく気持ち悪くなるのに気づき、ヨガってすごいなと思いました。でもタバコはやめられませーんと、ヨガのクラスをドロップしたんです。(注:なお、タバコはその後やめました。)
その2)一年半ぐらい前、友達にヨガに誘われて参加、ルーティーンらしきものをやったら、たいした事なさそうなのに息が切れてヒーヒー、体力が激しく落ちてるのを自覚。
日本からサンフランシスコへ帰ってきた翌日。ヨガが時差ぼけに効果があるかどうか興味をもち、再び参加。結果は、驚きの「効くー!」 いつもは最低三日は苦しむんですけど、ヨガをやった翌日から時差ぼけほとんど解消! こうして週一の「ヨガ」の信者になりました。
私の参加しているヨガのすごーい点は、まず、その会場。荘厳なゴチック教会で高い天井の会場に入ると、自然に現世が遠のき、目がぐるりにめぐらされたステンドグラスへ。心が広がります。午後7時に時刻をつげる鐘の音がお腹の底に響きわたるとき、除夜の鐘ではないけれど、思わず両手を合わせて合掌。
すごい点、その2は音楽の伴奏。ネパールの2メートルくらいある大笛や、シンギングボール(singing bowl)等を奏でるミュージシャンが毎週、交替でやってきてヨガをやってる最中、音楽をかなでてくれます。 写真:シンギングボール。
以前の好みはネパール大笛(下の写真ですけど、この楽器、なんという名前か知ってる人がいたら教えてね)だったんですが、最近の好みはハープのような楽器とバイオリンの二重奏(下の2枚目の写真)。思わず聞き惚れます。ハープをやってる人は美しい声の持ち主で歌も唄います。ホスピスでボランティアもしてるそうです(アメリカのボランティアは日本と違い、本当のボランティアで無償。)
このヨガのクラスは、毎週、火曜日にサンフランシスコ市内のあちこちで行われてる、「寄付金ベース」のヨガのクラスの一つ。参加者が参加する毎に寄付金を出します。普通のクラスだと一回平均10ドル前後なので、そのぐらいがメド。もちろんもっと出す人もいます。寄付金は、ヨガの先生と、ミュージシャンと、場所を提供してる教会で分配。寄付金ベースは、行かない、もしくは行けない日は払わなくてもいいので参加者には便利。
このヨガのクラス、最近はさまざまな新聞で取り上げられたりしてて有名になり、大盛況。参加者は、私が初めて参加したころに比べると、2倍半にはなってるし、現在も増加中。
私にとっては、鐘の音とともに、生涯忘れる事の出来ないヨガのクラスとなりました。これからも健闘を祈ります。
2012年10月25日木曜日
「Everything must go!」ガレージセール!
10月6日(土)と7日(日)、そして10月13日(土)に、ミッションで初めてで最後の、私主催の「EVERYTHINK MUST GO!」ガレージセールを開催。いよいよ日本帰国を前に、残ってるものすべて売りつくし!
ガレージセール経験者のスチュワートのアドバイスで、近くのお店でコーヒーを買って、20ドル札をくずしておき、一ドル札と5ドル札とクォーター(25セント)のおつりをたっぷりジーンズのポケットに用意。表面にマジックインキで字のかけるテープも必需品。値段を書いて、売り物へペタッ!
写真:6日と7日は忙しくて写真を取るのを忘れてしまって残念。13日の正午すぎ。潜在客は食事中らしく閑古鳥が泣く。そうだ、写真を撮らなくっちゃ!
スチュワートの二つ目のアドバイスは、朝8時半に開店(「えぇ〜。そんなに朝早くから?」)ところがこのアドバイス、すごい有効でした。お客さん、結構早起き。
三つ目のアドバイスは、「クレイグス・リスト(Craig's List)」という、サンフランシスコ生まれ、今は全米(そしてインターナショナル)に広がったサイトへ、ガレージセールの案内を木曜日から掲載。効ありで、ダウンのスリーピングバッグをお目当てに、カップルが朝8時半に一番のり。この他、日本人の群がるサイトへも出したのですが、効果はなかったようです。当日は、近くの四つ角の電柱に、ガレージセールの場所と時間を書いた紙をペタッ。
間違って無使用の「iPod」を5ドルで売っちゃったり、誰かが私のヨガ用の厚目のNIKEのパンツを、1ドルで売っちゃったり。ジーザス!でも大成功でした。
ガレージセールの良いところは、今まで見た事も、話した事もない近所の人と知り合いになれること。都会には、忙しくて孤独な独身がいっぱい。それがガレージセールで「あいつなら友達になってもいいかな」と思うと、アメリカ人は自己紹介するために、積極的に挨拶してきます。そんな一人に、30年くらい前に制作されたオーストラリア製の世界地図を2ドルで「あげ」ました。南極が上になってるので、世界が逆さま(写真にとっとけばよかった!)に描かれているのが面白い地図。さらに「ソビエト連邦」とか、今はなくなった国がしっかり書き込まれてるので、「これはアンティークだから大事にしてよ。」
こんなに面白そうな人たちに会えるなら、もっとはやくガレージセールをやればよかったな...
ガレージセール経験者のスチュワートのアドバイスで、近くのお店でコーヒーを買って、20ドル札をくずしておき、一ドル札と5ドル札とクォーター(25セント)のおつりをたっぷりジーンズのポケットに用意。表面にマジックインキで字のかけるテープも必需品。値段を書いて、売り物へペタッ!
写真:6日と7日は忙しくて写真を取るのを忘れてしまって残念。13日の正午すぎ。潜在客は食事中らしく閑古鳥が泣く。そうだ、写真を撮らなくっちゃ!
スチュワートの二つ目のアドバイスは、朝8時半に開店(「えぇ〜。そんなに朝早くから?」)ところがこのアドバイス、すごい有効でした。お客さん、結構早起き。
三つ目のアドバイスは、「クレイグス・リスト(Craig's List)」という、サンフランシスコ生まれ、今は全米(そしてインターナショナル)に広がったサイトへ、ガレージセールの案内を木曜日から掲載。効ありで、ダウンのスリーピングバッグをお目当てに、カップルが朝8時半に一番のり。この他、日本人の群がるサイトへも出したのですが、効果はなかったようです。当日は、近くの四つ角の電柱に、ガレージセールの場所と時間を書いた紙をペタッ。
間違って無使用の「iPod」を5ドルで売っちゃったり、誰かが私のヨガ用の厚目のNIKEのパンツを、1ドルで売っちゃったり。ジーザス!でも大成功でした。
ガレージセールの良いところは、今まで見た事も、話した事もない近所の人と知り合いになれること。都会には、忙しくて孤独な独身がいっぱい。それがガレージセールで「あいつなら友達になってもいいかな」と思うと、アメリカ人は自己紹介するために、積極的に挨拶してきます。そんな一人に、30年くらい前に制作されたオーストラリア製の世界地図を2ドルで「あげ」ました。南極が上になってるので、世界が逆さま(写真にとっとけばよかった!)に描かれているのが面白い地図。さらに「ソビエト連邦」とか、今はなくなった国がしっかり書き込まれてるので、「これはアンティークだから大事にしてよ。」
こんなに面白そうな人たちに会えるなら、もっとはやくガレージセールをやればよかったな...
2012年10月13日土曜日
マリンスキーバレエの「白鳥の湖」at バークレー
マリンスキーバレエ(Mariinsky Ballet & Orchestra of the Mariinsky Theatre。元キロフ・バレエ Kirov Ballet)が3年ぶりにバークレー(Berkeley)を訪問、スワン・レーク(Swan Lake ハッピーエンド版)を日曜日まで上演中。
初日(10/10)は、エカテリーナ・コンダローバ(Ekaterina Kondaurova)のオデッタ/オディールと、ダニラ・コルスンツェフ(Danila Korsuntsev)のジークフリード。一緒にいった人が安い券を買ったのでゼラバック・ホールの天井に近いくらいでしたが、まあ仕方ない。よくフォーメーションが見えました。
エカテリーナとダニラのは、キロフの伝統的な「白鳥の湖」。ライトの色、光の当て方、コスチューム等は、バリュエーションがあるとはいえ、youtubeで見ているとおり。エカテリーナは決めるところはピシッと様式美を決め、エネルギーを出すときはバネのように前へ出て体が弓のようにしなります。ダニラはどちらかというと、温厚なプリンス。
翌日、まさかということもあると思って、ゼラバック(Zellerbach Hall)に電話したら、売れ残り券を安売りするというお知らせが! こういうの「ラッシュ券」って言うんですけど、ただちにバート(BART)に飛び乗ってバークレーへ。140ドルのオーケストラ席を20ドルで入手。会場は満杯でした。
その日は、ウラジミール・シクリャローフ(? Yladimir Schklyarov)の王子と、本当の新人のオクサナ・スコーリク(? Oksana Skoryk)。初めはアリーナ・ソーモワが予定されてたんですが、何かあったらしく、オクサナに変更。ウラジミールは、3年前のバークレー公演では代理出演、今はめでたくマリンスキーのプリンシパル・ダンサーに昇格してました。前回のウラジミールはイケメン中のイケメン、それから3年後、どうなってるかなーて見たんですが、きらきらと目のひかる天真爛漫なハンサムではなくなってました。失恋でもしたのかも。
オクサナは、まだまだ若ーく、舞台経験をつまなくちゃという段階。エカテリーナのようにはポーズがぴしっと決まらないうちに次のステップへいったりでしたが、マリンスキーが将来を託してる一人なんでしょう。まじめな普通の女の子という感じ。
面白い事、その1: 第一幕の最後に、王子が湖へ向かう前にソロで踊るところがあるんですが、ダニラとウラジミールの解釈に違いがあるよう。ダニラの場合は、お母さんの女王様から誕生日プレゼントで送られた弓をはやく使ってみたいという感じで湖へ急ぎますが、ウラジミールの場合は、パーティが終わって一人になると、愛する人がいない寂しさをそこはかとなく感じ、気を紛らわすために、弓を持って湖へ行くというストーリー。「自然愛護」が歌われて久しい現在、また男性も寂しいと感じるのは今は受け入れられてる事実なので、ウラジミールの解釈のほうがなじみやすいです。
面白い事、その2: ロクサナの黒鳥。昨今の伝統的なキロフの黒鳥は、頭に長い黒鳥の羽を二本つけて、鳥っぽくなります。エカテリーナも、下の写真のアリーナ・ソーモワの黒鳥も、頭に長い羽が二本の鳥人間。ところがオクサナは、コールドバレエの黒鳥がつけてる普通のジェットブラックの頭飾りに、小さなティアラをかぶっただけの無長羽登場。
もしかして、オクサナはまだプリマにはほど遠いということで(注:マリンスキーではという意味)羽無しなのかも。羽無しジェットブラックの黒鳥はバークレーの街角をかっぽしてる現代若者風。たった今テレグラフ通りから走ってきて舞台へかけこんだ風の登場なんで学生街の観客に親近感をもたせるのか、ものすごーい受け。カーテンコールはエカテリーナをしのぐ3回。オクサナは「エッー」て感じで、ちょっとオズオズ、カーテンから出たり引っこんだりでした。
個々の解釈の違いを許し、たとえプリマでも個々に長所や短所があるわけですから、異なったコスチュームや頭飾りをダンサーの個性や熟練度に応じて用意し、一人一人の個性を大事にするマリンスキーはさすが様々なダンサーを手がけ、さまざまな時代を生き抜いてきたバレエ団だなと思いました。
今回、かなり感動したのがコールドバレエ。動きの無い場面では、美しい造形を保ちながら、ピクとも動きません。ダンサー達の体や腕や足の重なり方、すきまの出来かたなどパーフェクトと言ってもいいすぎでなく、よく体に足や膝の位置を徹底的に覚えこませるものと感心。コールドバレエの作る造形は、オーケストラ席とそのあたりの目線で最高に見えるようにできてるっていうのがよくわかりました。
あまりに静かなので気になり、後の観客席を振り返ると、舞台の青っぽい光を反射した顔がすべて舞台へ向かって捧げられてるよう。舞台上で展開される物語に、魂が吸い込まれちゃってるんですね。
ゼラバックは、舞台の大きさはオペラハウス並みなのに、客席数は圧倒的に少ないので、出演者が近く、よく見られるていう利点あり。舞台上から、多分客席も、見えるのかも。サンフランシスコのオペラハウスでは、舞台からは客席は真っ暗で見えないと思います。
写真とレビューはこちら。
こちらへ行くとウラジミールが見られます。2枚目の写真。コールドバレエの写真はここで。
バークレーに来る前にロサンジェルスで公演した模様。ロサンジェルス・タイムズに写真とレビュー。ウラジミールとオクサナの写真をトップに全部で7枚ぐらい見られます。
マリンスキーバレエはロシアの宝です。 写真はオクサナ。ロサンジェルス・タイムズから。はっきりとしたことは言えませんけど、記事から見ると、アリーナが妊娠したみたい。残念! でもオクサナが見られたからいいかな... オクサナは、アメリカ初日公演のパドトゥのくるくるまわるとこで転倒したみたい。
やはりダイアナ・ビショネバとか、スベトラーナとか、アリーナ・ソーモワのようになるには大変なんだなと思いました。
10月14日: 土曜日の夜はオクサナとアレクサンダー・セルゲイエフ(Alexander Sergeyev)。アレクサンダーの王子が一番ぴったりの感じ。まだソロリストなのでダリアやウラジミールほどの余裕で演じてるんではなく、全身で打ち込んでるところが若い王子らしくてグー。
オクサナは数日まえよりはリラックス。黒鳥のパドトゥの最後で、トランペットの音色に乗って、王子へ近づいてゆく場面があります。王子の心を虜にしたのを確信、王子にくるくると回りながら得意満面で近づいて行くところなんですが、左足のトウが高く天を指すようひざをまげて、彼女なりの嬉々とした勝利の表現、よかったです。
2015年1月8日:オクサナとティモール・アスケロフ(Timur Askerov)のスワンレークが見つかったのでお薦めリンクしておきます。これは2013年5月にアップロードされてる事と、オクサナの動きから推察すると、私がバークレーで見たより後のパフォーマンス。オクサナの動きがぐんと優雅でバランスもよく、ポーズもバチッと決まるようになってます。特に手首の動きが美しくなり、そのおかげで長い腕の優雅さが香るような感じ。回転がちょっと遅いかなというとこはありますけど、上で私が「得意げ」って書いた足の動きは段々角度が大きくなっていて、ドラマチック。こういうのってパフォーマンスを重ねないと体得できないのかもね。お相手役のアスケロフは私生活上ではオクサナのボーイフレンドですが、彼の動きはぐらぐらするところもありますけど気品ありで、セルゲイエフより良いと思います。ジャンプがシャープでスピード感あり。特に両足が前後に伸びて後ろ足が高く上がる私の好きなジャンプは美しくて清々しく、将来、素晴らしく成長することを祈ります。
初日(10/10)は、エカテリーナ・コンダローバ(Ekaterina Kondaurova)のオデッタ/オディールと、ダニラ・コルスンツェフ(Danila Korsuntsev)のジークフリード。一緒にいった人が安い券を買ったのでゼラバック・ホールの天井に近いくらいでしたが、まあ仕方ない。よくフォーメーションが見えました。
エカテリーナとダニラのは、キロフの伝統的な「白鳥の湖」。ライトの色、光の当て方、コスチューム等は、バリュエーションがあるとはいえ、youtubeで見ているとおり。エカテリーナは決めるところはピシッと様式美を決め、エネルギーを出すときはバネのように前へ出て体が弓のようにしなります。ダニラはどちらかというと、温厚なプリンス。
翌日、まさかということもあると思って、ゼラバック(Zellerbach Hall)に電話したら、売れ残り券を安売りするというお知らせが! こういうの「ラッシュ券」って言うんですけど、ただちにバート(BART)に飛び乗ってバークレーへ。140ドルのオーケストラ席を20ドルで入手。会場は満杯でした。
その日は、ウラジミール・シクリャローフ(? Yladimir Schklyarov)の王子と、本当の新人のオクサナ・スコーリク(? Oksana Skoryk)。初めはアリーナ・ソーモワが予定されてたんですが、何かあったらしく、オクサナに変更。ウラジミールは、3年前のバークレー公演では代理出演、今はめでたくマリンスキーのプリンシパル・ダンサーに昇格してました。前回のウラジミールはイケメン中のイケメン、それから3年後、どうなってるかなーて見たんですが、きらきらと目のひかる天真爛漫なハンサムではなくなってました。失恋でもしたのかも。
オクサナは、まだまだ若ーく、舞台経験をつまなくちゃという段階。エカテリーナのようにはポーズがぴしっと決まらないうちに次のステップへいったりでしたが、マリンスキーが将来を託してる一人なんでしょう。まじめな普通の女の子という感じ。
面白い事、その1: 第一幕の最後に、王子が湖へ向かう前にソロで踊るところがあるんですが、ダニラとウラジミールの解釈に違いがあるよう。ダニラの場合は、お母さんの女王様から誕生日プレゼントで送られた弓をはやく使ってみたいという感じで湖へ急ぎますが、ウラジミールの場合は、パーティが終わって一人になると、愛する人がいない寂しさをそこはかとなく感じ、気を紛らわすために、弓を持って湖へ行くというストーリー。「自然愛護」が歌われて久しい現在、また男性も寂しいと感じるのは今は受け入れられてる事実なので、ウラジミールの解釈のほうがなじみやすいです。
面白い事、その2: ロクサナの黒鳥。昨今の伝統的なキロフの黒鳥は、頭に長い黒鳥の羽を二本つけて、鳥っぽくなります。エカテリーナも、下の写真のアリーナ・ソーモワの黒鳥も、頭に長い羽が二本の鳥人間。ところがオクサナは、コールドバレエの黒鳥がつけてる普通のジェットブラックの頭飾りに、小さなティアラをかぶっただけの無長羽登場。
もしかして、オクサナはまだプリマにはほど遠いということで(注:マリンスキーではという意味)羽無しなのかも。羽無しジェットブラックの黒鳥はバークレーの街角をかっぽしてる現代若者風。たった今テレグラフ通りから走ってきて舞台へかけこんだ風の登場なんで学生街の観客に親近感をもたせるのか、ものすごーい受け。カーテンコールはエカテリーナをしのぐ3回。オクサナは「エッー」て感じで、ちょっとオズオズ、カーテンから出たり引っこんだりでした。
個々の解釈の違いを許し、たとえプリマでも個々に長所や短所があるわけですから、異なったコスチュームや頭飾りをダンサーの個性や熟練度に応じて用意し、一人一人の個性を大事にするマリンスキーはさすが様々なダンサーを手がけ、さまざまな時代を生き抜いてきたバレエ団だなと思いました。
今回、かなり感動したのがコールドバレエ。動きの無い場面では、美しい造形を保ちながら、ピクとも動きません。ダンサー達の体や腕や足の重なり方、すきまの出来かたなどパーフェクトと言ってもいいすぎでなく、よく体に足や膝の位置を徹底的に覚えこませるものと感心。コールドバレエの作る造形は、オーケストラ席とそのあたりの目線で最高に見えるようにできてるっていうのがよくわかりました。
あまりに静かなので気になり、後の観客席を振り返ると、舞台の青っぽい光を反射した顔がすべて舞台へ向かって捧げられてるよう。舞台上で展開される物語に、魂が吸い込まれちゃってるんですね。
ゼラバックは、舞台の大きさはオペラハウス並みなのに、客席数は圧倒的に少ないので、出演者が近く、よく見られるていう利点あり。舞台上から、多分客席も、見えるのかも。サンフランシスコのオペラハウスでは、舞台からは客席は真っ暗で見えないと思います。
写真とレビューはこちら。
こちらへ行くとウラジミールが見られます。2枚目の写真。コールドバレエの写真はここで。
バークレーに来る前にロサンジェルスで公演した模様。ロサンジェルス・タイムズに写真とレビュー。ウラジミールとオクサナの写真をトップに全部で7枚ぐらい見られます。
マリンスキーバレエはロシアの宝です。 写真はオクサナ。ロサンジェルス・タイムズから。はっきりとしたことは言えませんけど、記事から見ると、アリーナが妊娠したみたい。残念! でもオクサナが見られたからいいかな... オクサナは、アメリカ初日公演のパドトゥのくるくるまわるとこで転倒したみたい。
やはりダイアナ・ビショネバとか、スベトラーナとか、アリーナ・ソーモワのようになるには大変なんだなと思いました。
10月14日: 土曜日の夜はオクサナとアレクサンダー・セルゲイエフ(Alexander Sergeyev)。アレクサンダーの王子が一番ぴったりの感じ。まだソロリストなのでダリアやウラジミールほどの余裕で演じてるんではなく、全身で打ち込んでるところが若い王子らしくてグー。
オクサナは数日まえよりはリラックス。黒鳥のパドトゥの最後で、トランペットの音色に乗って、王子へ近づいてゆく場面があります。王子の心を虜にしたのを確信、王子にくるくると回りながら得意満面で近づいて行くところなんですが、左足のトウが高く天を指すようひざをまげて、彼女なりの嬉々とした勝利の表現、よかったです。
2015年1月8日:オクサナとティモール・アスケロフ(Timur Askerov)のスワンレークが見つかったのでお薦めリンクしておきます。これは2013年5月にアップロードされてる事と、オクサナの動きから推察すると、私がバークレーで見たより後のパフォーマンス。オクサナの動きがぐんと優雅でバランスもよく、ポーズもバチッと決まるようになってます。特に手首の動きが美しくなり、そのおかげで長い腕の優雅さが香るような感じ。回転がちょっと遅いかなというとこはありますけど、上で私が「得意げ」って書いた足の動きは段々角度が大きくなっていて、ドラマチック。こういうのってパフォーマンスを重ねないと体得できないのかもね。お相手役のアスケロフは私生活上ではオクサナのボーイフレンドですが、彼の動きはぐらぐらするところもありますけど気品ありで、セルゲイエフより良いと思います。ジャンプがシャープでスピード感あり。特に両足が前後に伸びて後ろ足が高く上がる私の好きなジャンプは美しくて清々しく、将来、素晴らしく成長することを祈ります。
2012年10月2日火曜日
2012年サンフランシスコ,秋のオペラの「キャプレット家とモンタギュー家」
ベリーニの作品で、初めて見るオペラ。「ロミオとジュリエット」のオペラ版ですが、シェイクスピアの話とは違うところあり。でも全体では、やっぱり悲壮なロミオとジュリエットの話。
ロメオを演じたのは私の大好きなジョイス・ディドナト(Joyce DiDonato)。以前「セビリアの理髪師」でロジーナを、その後「バラの騎士」でオクタビアを演じたんですが(これは見た記憶がないんですけど)、なるべくはやくサンフランシスコに帰ってきて欲しかったんですが、今回まで待たなくてはなりませんでした。
メルロ・オペラという、サンフランシスコ・オペラ歌手養成プログラムの出身。ドロラ・ゼイジックと同様、国際的に有名になってしまったので、今日まで無視されちゃったんだと思いますが、ああ、ずいぶん成長したなーと思いました。暗くて辛く、最後はジュリエットが死んだと誤解して毒薬を飲んでしまうロメオの役を見事に演じきりました。
この演出では、ジュリエットと手をつないで、舞台上の一線を超え人々から離れ、空中のどこかを見つめながら、舞台前方へ歩むところで終わります。生きてるときは葛藤ばかりの2人が、初めて同じ方向に進みながら終わるこの終わり方、「...」という感じが出てて、いいと思いました。
このオペラでは、ロミオとジュリエットの恋は、苦しく辛い恋。それを丁寧に感情をこめて表現するジョイスのロミオ、キャプレット家に平和を申し出る最初の歌、ジュリエットを説得しようと命をかけるロメオの歌に、涙がでました。
ジュリエットを演じたのはニコール・キャベル(Nicole Cabell)。サンフランシスコ初出演。新人と思いますが、才能ある声。とは言え、ジョイスの声の方が私好み。2人でデュエットをする場面がいくつかあるんですが、ジョイスがニコールに合わせてハモる声の美しい事、それを聞くだけで満足のゆくパフォーマンス、しっかとサンフランシスコを征服しました!
パフォーマンス中、ロミオはジュリエットを見つめるときは見つめて歌うのに、ジュリエットはほとんどロミオと目を合わせません。まだ役者じゃないんですね。 サンフランシスコ・オペラのウェブサイトからのスナップショット。ジョイスのロメオとニコールのジュリエット。まだ初日のビデオがアップロードされてないようなので残念!
ベリーニの「ロミオとジュリエット」では、社会の矛盾がジュリエットというボディ、一身に集中。「あなたを愛しているけど、家族は裏切れない、私の心はすでにあなたのもの、でも私達がこの世で結ばれる事はありえないの」と、愛を成就するには死しかないことを示唆、全体のプロットが、「死」に向かって進んで行きます。オペラ全体を通じて、ロミオの意に添えずに苦しみ、家族の強いる結婚式におののくジュリエットは、当然ですけど、病気っぽく演出されてます。例えば、トイレの手洗い台の上に飛び乗って歌ったり、下着での登場がほとんど等。でもこんな苦しみに遭遇したら、誰だって精神的に影響をうけるじゃないですか。
舞台のデザインはいかにも前衛好みのドイツ。例えば、馬のサドルをまるで剥製の動物の群のように天井からつるさげ、戦場の騎馬群を連想させます。ジュリエットとロミオが再会する場面では、空中に45度の角度で飛び上がるように吊るされていて、つるんでいるんだけど抱き合ってるわけではない真っ白い男女の像が、2人のこの世での関係と、あの世への旅立ちを示唆してるよう。
そんな中でカラフルなのは、ジュリエットの結婚式の場面。結婚式そのものは描かれませんが、着飾った女性たちのドレスで示唆、このドレス群が、2012年「VOUGUE」XX月号特集っていう感じの華やかさ。全女性が大きな花を口に加えて、顔の半分を隠してしまうところが妖しくグーでした。ロミオも女装で招待客として潜入、ベージュ調ドレスがよく似合ってて素敵でした(写真左中央あたり)。ジュリエットのウェディングドレスも今はやりの「ボーグ」的。下は結婚式を示唆する舞台の写真。
10/2/12:ビデオがパブリッシュされたのでリンクしておきます。
新聞のレビューと写真はこちらです。
10/5/12:アナ・ネトレブコのジュリエットとジョイスのロメオ。
ジョイスのロジーナがyoutubeにあったのでリンクしておきます。
ロメオを演じたのは私の大好きなジョイス・ディドナト(Joyce DiDonato)。以前「セビリアの理髪師」でロジーナを、その後「バラの騎士」でオクタビアを演じたんですが(これは見た記憶がないんですけど)、なるべくはやくサンフランシスコに帰ってきて欲しかったんですが、今回まで待たなくてはなりませんでした。
メルロ・オペラという、サンフランシスコ・オペラ歌手養成プログラムの出身。ドロラ・ゼイジックと同様、国際的に有名になってしまったので、今日まで無視されちゃったんだと思いますが、ああ、ずいぶん成長したなーと思いました。暗くて辛く、最後はジュリエットが死んだと誤解して毒薬を飲んでしまうロメオの役を見事に演じきりました。
この演出では、ジュリエットと手をつないで、舞台上の一線を超え人々から離れ、空中のどこかを見つめながら、舞台前方へ歩むところで終わります。生きてるときは葛藤ばかりの2人が、初めて同じ方向に進みながら終わるこの終わり方、「...」という感じが出てて、いいと思いました。
このオペラでは、ロミオとジュリエットの恋は、苦しく辛い恋。それを丁寧に感情をこめて表現するジョイスのロミオ、キャプレット家に平和を申し出る最初の歌、ジュリエットを説得しようと命をかけるロメオの歌に、涙がでました。
ジュリエットを演じたのはニコール・キャベル(Nicole Cabell)。サンフランシスコ初出演。新人と思いますが、才能ある声。とは言え、ジョイスの声の方が私好み。2人でデュエットをする場面がいくつかあるんですが、ジョイスがニコールに合わせてハモる声の美しい事、それを聞くだけで満足のゆくパフォーマンス、しっかとサンフランシスコを征服しました!
パフォーマンス中、ロミオはジュリエットを見つめるときは見つめて歌うのに、ジュリエットはほとんどロミオと目を合わせません。まだ役者じゃないんですね。 サンフランシスコ・オペラのウェブサイトからのスナップショット。ジョイスのロメオとニコールのジュリエット。まだ初日のビデオがアップロードされてないようなので残念!
ベリーニの「ロミオとジュリエット」では、社会の矛盾がジュリエットというボディ、一身に集中。「あなたを愛しているけど、家族は裏切れない、私の心はすでにあなたのもの、でも私達がこの世で結ばれる事はありえないの」と、愛を成就するには死しかないことを示唆、全体のプロットが、「死」に向かって進んで行きます。オペラ全体を通じて、ロミオの意に添えずに苦しみ、家族の強いる結婚式におののくジュリエットは、当然ですけど、病気っぽく演出されてます。例えば、トイレの手洗い台の上に飛び乗って歌ったり、下着での登場がほとんど等。でもこんな苦しみに遭遇したら、誰だって精神的に影響をうけるじゃないですか。
舞台のデザインはいかにも前衛好みのドイツ。例えば、馬のサドルをまるで剥製の動物の群のように天井からつるさげ、戦場の騎馬群を連想させます。ジュリエットとロミオが再会する場面では、空中に45度の角度で飛び上がるように吊るされていて、つるんでいるんだけど抱き合ってるわけではない真っ白い男女の像が、2人のこの世での関係と、あの世への旅立ちを示唆してるよう。
そんな中でカラフルなのは、ジュリエットの結婚式の場面。結婚式そのものは描かれませんが、着飾った女性たちのドレスで示唆、このドレス群が、2012年「VOUGUE」XX月号特集っていう感じの華やかさ。全女性が大きな花を口に加えて、顔の半分を隠してしまうところが妖しくグーでした。ロミオも女装で招待客として潜入、ベージュ調ドレスがよく似合ってて素敵でした(写真左中央あたり)。ジュリエットのウェディングドレスも今はやりの「ボーグ」的。下は結婚式を示唆する舞台の写真。
10/2/12:ビデオがパブリッシュされたのでリンクしておきます。
新聞のレビューと写真はこちらです。
10/5/12:アナ・ネトレブコのジュリエットとジョイスのロメオ。
ジョイスのロジーナがyoutubeにあったのでリンクしておきます。
2012年9月25日火曜日
2012年秋のサンフランシスコ・オペラの「リゴレット」
ヴェルディの「リゴレット」は好きなオペラの一つ。四重唱中、涙をはらはらと流すさまを曲にしたようなジルダの悲しみの歌、ジルダと、ジルダの部屋に忍び込んだガルティエ・マルデ(実は伯爵の偽装)が、別れを惜しんで歌う熱い「さよなら、さよなら」の二重唱、ガルティエ・マルデが去った後に、「ああ、なんて素敵な名前なの」と、「ロメオ、ロメオ、なんであなたはロメオなの」的な恋の歌が、宝石のように散りばめられた王冠のようなオペラです。
今回は二組のキャストが交替にジルダ、リゴレットとマントヴァ伯爵をやったんですが、ジルダは、セカンド・キャストで歌ったロシア人のアルビーナ・シャギムラトーバ(Albina Shagimuratova)の方がぴったりと思いました。透き通るソプラノ、高音が美しく、まだ「娘」の段階の女の子を感じさせる声。
Youtubeにアルビーナの歌う「ああ、なんて素敵な名前なの」がアップロードされてるのでリンクしておきます。サンフランシスコの方が、透き通った感じの声でした。アルビーナは6月のサンフランシスコ・オペラで「夜の女王様」をやった人。 マントヴァ伯爵は、オープニング・キャストのフランシスコ・デミューロ(Francesco Demuro)の方が全然よかったです。いつも一定の、はりのある声。Youtubeのビデオをリンクしておきます。デミューロさんが、またサンフランシスコへ帰ってくるのを楽しみにしてます。
今回の制作は、舞台にあがるのがこれで三度目ですが、舞台デザインとして優れてると思います。青や赤のライトを効果的に使ってストーリーにめりはり。また貴族の男達が舞踏会できている衣装に、面白いのが多々ありました。 第2幕では、上の舞台の真ん中に運河が出現。今回初めて気づいたんですが、運河は、舞台の表面に、黒とネズミ色のツートンカラーのプラスチックシートがはってあるだけ。遠くから見ると、暗闇で鈍く光る運河のように見えるんです。
リゴレットはヴェルディの傑作中の傑作(次が「イル・トロバトーレ」と「運命の力」じゃないでしょうか)。サンフランシスコ・オペラのビデオクリップをリンクしておきます。 リビューと写真はこちら。
レビュー中にデミューロががっかりのパフォーマンスと書いてありますが、私が見たときはすっかり回復、素晴らしかったです。
追記:リゴレットは今まで4回見たんですが、一番最初に聞いたギルダは誰だったのかずぅーと思い出せませんでした。今回、インターネット検索で、あの時のギルダはデザレ・ランカトーレ(Desiree Rancatore)で、彼女の国際デビュー舞台。まだ学生のように若く、細くて長いカーリーヘアの金髪を小刻みにふるわせながらハラハラと泣く(四重唱)のを見て、彼女の悲しみに共感、あまり美しいギルダに感動したのでした。
今回は二組のキャストが交替にジルダ、リゴレットとマントヴァ伯爵をやったんですが、ジルダは、セカンド・キャストで歌ったロシア人のアルビーナ・シャギムラトーバ(Albina Shagimuratova)の方がぴったりと思いました。透き通るソプラノ、高音が美しく、まだ「娘」の段階の女の子を感じさせる声。
Youtubeにアルビーナの歌う「ああ、なんて素敵な名前なの」がアップロードされてるのでリンクしておきます。サンフランシスコの方が、透き通った感じの声でした。アルビーナは6月のサンフランシスコ・オペラで「夜の女王様」をやった人。 マントヴァ伯爵は、オープニング・キャストのフランシスコ・デミューロ(Francesco Demuro)の方が全然よかったです。いつも一定の、はりのある声。Youtubeのビデオをリンクしておきます。デミューロさんが、またサンフランシスコへ帰ってくるのを楽しみにしてます。
今回の制作は、舞台にあがるのがこれで三度目ですが、舞台デザインとして優れてると思います。青や赤のライトを効果的に使ってストーリーにめりはり。また貴族の男達が舞踏会できている衣装に、面白いのが多々ありました。 第2幕では、上の舞台の真ん中に運河が出現。今回初めて気づいたんですが、運河は、舞台の表面に、黒とネズミ色のツートンカラーのプラスチックシートがはってあるだけ。遠くから見ると、暗闇で鈍く光る運河のように見えるんです。
リゴレットはヴェルディの傑作中の傑作(次が「イル・トロバトーレ」と「運命の力」じゃないでしょうか)。サンフランシスコ・オペラのビデオクリップをリンクしておきます。 リビューと写真はこちら。
レビュー中にデミューロががっかりのパフォーマンスと書いてありますが、私が見たときはすっかり回復、素晴らしかったです。
追記:リゴレットは今まで4回見たんですが、一番最初に聞いたギルダは誰だったのかずぅーと思い出せませんでした。今回、インターネット検索で、あの時のギルダはデザレ・ランカトーレ(Desiree Rancatore)で、彼女の国際デビュー舞台。まだ学生のように若く、細くて長いカーリーヘアの金髪を小刻みにふるわせながらハラハラと泣く(四重唱)のを見て、彼女の悲しみに共感、あまり美しいギルダに感動したのでした。
2012年8月18日土曜日
日本もやもや集:「康介さんをてぶらでは帰せない」
今、日本に来てるんですけど、もやもやーとした不思議な心の体験をしてます。今回、滞在が長くて、足の指で池の表面をちょんとつついてみる以上に、日本に「深入り」してるせいだと思いますが...
「不思議な心的体験」って、クジラがどーっと海面に浮上する直前にできるうねりみたいなもの。「ムッ?」と心の中でつぶやくんですが、それで立ち消え。翌々日あたりに「ムッ?」っと思い出すんですけど、やはり、姿は見えぬまま。数日を経て、「ムムムッ、あれは何だったんだろう?」とうねりが立つことがあります。
不可解なうねり、その1:
銀メダルをとった男子400メートルメドレーの水泳のことで、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないって、皆で話してたんですよ」という選手の声がテレビから聞こえてきました。「何々?」と聞き耳を立てると、初の銀メダル獲得という快挙を成し遂げられたのはなぜかの説明のよう。私は冗談を言ってるのかって思ってしまいました。後で同じ部分が再放送されたとき、本当に説明のつもりかもと思いました。「今時の男の子って、意外に浪花節みたいなこと言うんだなー。」
同じ引用を次に聞いたのは、NHKの「心に残るオリンピックの名場面」とかいう番組。視聴者に一番、感動した場面をつのった時、視聴者がトップに選んだのが、この「康介さんをてぶらで帰すわけにはいかない」400メートル男子水泳メドレーのビデオ。ここで、私の心の中でガーンとうねりがたち、ついにクジラが浮上したわけです。
長い間、日本を離れてたので、私はこういう説明の仕方が理解できず、反応しなくなちゃってるんだなー。
そしたら一昨日、オリンピック関係のNHKの番組の中で、体操の内村航平が、同じようなテーマの説明を展開したのでハッとしました。彼が、団体予選でも団体決勝でも満足する結果を出せなかったのに、なぜ個人総合決勝で、ついに自分の力を出す事ができたのかという質問に答えた時です。
YouTubeから
内村選手: 当初の予定を変更して、鉄棒の演技から難しい技を一つ抜き、ミスある優勝より、ミスの無い美しい優勝を狙おうとコーチが提案してきましたが、ボクは決めあぐねてました。そんなとき、足をけがした山室選手と話をしたんです。
「山室さんは、けがで個人総合に出られなくなってくやしいというようなことは一言も言いませんでした。でも話し終わった彼の背中を見たとき、背中がくやしいって言ってるのが見えたんです。そのとき、ボクが金メダルを取れば、皆が喜んでくれる、それで皆が幸せになるって思い、難しい技を抜く決心がつきました」と、一瞬の迷いも無く語ったのです。
「康介さんをてぶらで帰せない」と「みなが喜び、ハッピーになる」は、どうも日本人なら共有できる「センチメント」であり、日本人をアチーブメントへ駆り立てる「動機」ともなる「ロジック」なのに気がついたんです。
じゃあ、長い事アメリカで暮らしてる私が、このローカルロジックになんでもやもやするのかなと考えたとき、「私」と私の「結果」の間に、「自分以外の人」が入るせいじゃないかと思いました。私にとっては、「康介さんをてぶらで帰せない」というような「先輩のためにがんばる」とか、「友人を『ハッピー』にするためにがんばる」が間に入ると、「異物」が「私」と「結果」に間に入ってる気がしますが、日本人だと気持ちが鼓舞されるんじゃないでしょうか。
オリンピックは特別の場だから、普通とは異なって、「他人」が「自分」と「結果」のあいだに入るのかもしれません。でもボルト選手の場合は「自分が伝説になりたい」と望んで、伝説になりました。
「康介さんをてぶらでは帰せない」という感じ方は、多分、日本人の心の「琴線」に響き、普通ではなし得ない事を成し得させてしまう、「物理力」とは違うけど、同じようなエネルギーを持った力。日本人は、日本特有の言語や、日本特有の食物を(好き、嫌いは別にして)共有してますが、このような感情のロジックも共有してるっていうことなんだと思います。私も日本にいたときは、このようなローカルロジックを持っていて、そんな説明に感動してたにちがいないと思いますが、長い間日本を離れているうちに、こういう感じ方を日常的に反復し、補強する機会がなかったので、だんだんと忘れてしまったんだと思います。
「不思議な心的体験」って、クジラがどーっと海面に浮上する直前にできるうねりみたいなもの。「ムッ?」と心の中でつぶやくんですが、それで立ち消え。翌々日あたりに「ムッ?」っと思い出すんですけど、やはり、姿は見えぬまま。数日を経て、「ムムムッ、あれは何だったんだろう?」とうねりが立つことがあります。
不可解なうねり、その1:
銀メダルをとった男子400メートルメドレーの水泳のことで、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないって、皆で話してたんですよ」という選手の声がテレビから聞こえてきました。「何々?」と聞き耳を立てると、初の銀メダル獲得という快挙を成し遂げられたのはなぜかの説明のよう。私は冗談を言ってるのかって思ってしまいました。後で同じ部分が再放送されたとき、本当に説明のつもりかもと思いました。「今時の男の子って、意外に浪花節みたいなこと言うんだなー。」
同じ引用を次に聞いたのは、NHKの「心に残るオリンピックの名場面」とかいう番組。視聴者に一番、感動した場面をつのった時、視聴者がトップに選んだのが、この「康介さんをてぶらで帰すわけにはいかない」400メートル男子水泳メドレーのビデオ。ここで、私の心の中でガーンとうねりがたち、ついにクジラが浮上したわけです。
長い間、日本を離れてたので、私はこういう説明の仕方が理解できず、反応しなくなちゃってるんだなー。
そしたら一昨日、オリンピック関係のNHKの番組の中で、体操の内村航平が、同じようなテーマの説明を展開したのでハッとしました。彼が、団体予選でも団体決勝でも満足する結果を出せなかったのに、なぜ個人総合決勝で、ついに自分の力を出す事ができたのかという質問に答えた時です。
YouTubeから
内村選手: 当初の予定を変更して、鉄棒の演技から難しい技を一つ抜き、ミスある優勝より、ミスの無い美しい優勝を狙おうとコーチが提案してきましたが、ボクは決めあぐねてました。そんなとき、足をけがした山室選手と話をしたんです。
「山室さんは、けがで個人総合に出られなくなってくやしいというようなことは一言も言いませんでした。でも話し終わった彼の背中を見たとき、背中がくやしいって言ってるのが見えたんです。そのとき、ボクが金メダルを取れば、皆が喜んでくれる、それで皆が幸せになるって思い、難しい技を抜く決心がつきました」と、一瞬の迷いも無く語ったのです。
「康介さんをてぶらで帰せない」と「みなが喜び、ハッピーになる」は、どうも日本人なら共有できる「センチメント」であり、日本人をアチーブメントへ駆り立てる「動機」ともなる「ロジック」なのに気がついたんです。
じゃあ、長い事アメリカで暮らしてる私が、このローカルロジックになんでもやもやするのかなと考えたとき、「私」と私の「結果」の間に、「自分以外の人」が入るせいじゃないかと思いました。私にとっては、「康介さんをてぶらで帰せない」というような「先輩のためにがんばる」とか、「友人を『ハッピー』にするためにがんばる」が間に入ると、「異物」が「私」と「結果」に間に入ってる気がしますが、日本人だと気持ちが鼓舞されるんじゃないでしょうか。
オリンピックは特別の場だから、普通とは異なって、「他人」が「自分」と「結果」のあいだに入るのかもしれません。でもボルト選手の場合は「自分が伝説になりたい」と望んで、伝説になりました。
「康介さんをてぶらでは帰せない」という感じ方は、多分、日本人の心の「琴線」に響き、普通ではなし得ない事を成し得させてしまう、「物理力」とは違うけど、同じようなエネルギーを持った力。日本人は、日本特有の言語や、日本特有の食物を(好き、嫌いは別にして)共有してますが、このような感情のロジックも共有してるっていうことなんだと思います。私も日本にいたときは、このようなローカルロジックを持っていて、そんな説明に感動してたにちがいないと思いますが、長い間日本を離れているうちに、こういう感じ方を日常的に反復し、補強する機会がなかったので、だんだんと忘れてしまったんだと思います。
2012年7月5日木曜日
2012年7月2日月曜日
サンフランシスコ・オペラの英語版「魔笛」
2012年、夏のサンフランシスコ・オペラの第三弾は、英語版「魔笛」。
英語版なんて大丈夫かなと思ったんですけど、聞きやすーい! せりふの全部が全部、わかるわけじゃないんですが、字幕を見なくていいのって楽。イタリア人やドイツ人は、こんな感じで聞いてるのか!
聞きやすい一方、モーツアルトっていうか、あの頃の貴族って女性蔑視というか、そうしたい欲望で満ちあふれてるというか、「女はこれこれこうだから、まともに聞いちゃいけない」風の歌詞が、あちこちに散りばめられてるのに気づかぜるを得ず、ちょっと不快。コンテクストが違うのでまともに今風に受け止めるべきではありませんが、子供が多かったんで影響悪いという感じ。お客さんもざわざわしたり、困った風、あきれ風の笑ったりでした。
ハイディ・ストーバ(Heidi Stober)がパミーナ、彼女、一息の声のボリュームをどんどん上げてゆくのが特に上手(アンジェラ・ゲオルギューにはかないませんけど)、テクニシャンなんですね。今までの彼女のパフォーマンスの中では一番上手にやってました。
夜の女王をやったのはアルビナ・シャギムラトーバ(Albina Shaginuratova)という人だったんですけど、数年前の夜の女王様よりはよかったです。
鳥猟師、パパジーナをやったのはいつもどおりネイサン・ガン(Nathan Gunn)。彼、英語で歌う方が上手。せりふには今風のジョークも入ってて、卵の世話もする「持続狩猟」師だなんて自己紹介し、お客さんの笑いを誘ってました。 鳥猟師のパパジーナ。
三人の侍女が良かったです。英語のせいなので言ってる事が分かりやすいせいなのかも。また「アッティラ」の時も思ったんですけど、舞台の前面は余裕があるんですが、絶対に歌い手が出てこない場所があります。下はオーケストラ・ピットがあって、もし舞台から落ちたら危険だからでしょうが、アッティラの時もニクソン・イン・チャイナでも、今シーズンは、出演者が今まで足を踏み入れなかった前面まで出てきて歌ってる事。ディレクターの指示に間違いありません。聞きやすい事は確かですが、ちょっと疑問印。
サラステロは私の好きなクリスティン・シグモンドソン(Kristinn Sigmundsson)。彼はスイス人なんですが、英語でも上手に歌ってました。
真ん中のカラフルな、歌舞伎役者のような衣装を来ているのがサラステロ。不思議な国のアリス風のブルーのドレスがパミーナ。一幕と三幕でこの衣装を着用。
パミーナの二幕目の衣装。一幕目ではロイヤルブルーに黒白横縞だったんですが、二幕目では黒白渦巻き縞。三段の段々スカートで、前の部分だけ、開いた扇形に渦巻きがついてます。 ドレスの全部が見られなくて残念! ハイディのパミーナとアレック・シャレイダー(Alek Shrader)のタミーノ。
真っ赤な夜の女王様の衣装、特に帽子はエレクトニクス時代にぴったり! すごく気に入りました。
今回の魔笛は子供の観客が多く、子供の笑い声があちこちで。動物が受けてて、特にパパジーノとパパゲーナが歌ってるときに出てくる鳥の子供が、みんなの喝采を浴びてました。 7月10日追記:今回の魔笛のビデオクリップがあるのでリンクしておきます。 新聞のレビューと写真はこちら。写真は16枚もあります。
英語版なんて大丈夫かなと思ったんですけど、聞きやすーい! せりふの全部が全部、わかるわけじゃないんですが、字幕を見なくていいのって楽。イタリア人やドイツ人は、こんな感じで聞いてるのか!
聞きやすい一方、モーツアルトっていうか、あの頃の貴族って女性蔑視というか、そうしたい欲望で満ちあふれてるというか、「女はこれこれこうだから、まともに聞いちゃいけない」風の歌詞が、あちこちに散りばめられてるのに気づかぜるを得ず、ちょっと不快。コンテクストが違うのでまともに今風に受け止めるべきではありませんが、子供が多かったんで影響悪いという感じ。お客さんもざわざわしたり、困った風、あきれ風の笑ったりでした。
ハイディ・ストーバ(Heidi Stober)がパミーナ、彼女、一息の声のボリュームをどんどん上げてゆくのが特に上手(アンジェラ・ゲオルギューにはかないませんけど)、テクニシャンなんですね。今までの彼女のパフォーマンスの中では一番上手にやってました。
夜の女王をやったのはアルビナ・シャギムラトーバ(Albina Shaginuratova)という人だったんですけど、数年前の夜の女王様よりはよかったです。
鳥猟師、パパジーナをやったのはいつもどおりネイサン・ガン(Nathan Gunn)。彼、英語で歌う方が上手。せりふには今風のジョークも入ってて、卵の世話もする「持続狩猟」師だなんて自己紹介し、お客さんの笑いを誘ってました。 鳥猟師のパパジーナ。
三人の侍女が良かったです。英語のせいなので言ってる事が分かりやすいせいなのかも。また「アッティラ」の時も思ったんですけど、舞台の前面は余裕があるんですが、絶対に歌い手が出てこない場所があります。下はオーケストラ・ピットがあって、もし舞台から落ちたら危険だからでしょうが、アッティラの時もニクソン・イン・チャイナでも、今シーズンは、出演者が今まで足を踏み入れなかった前面まで出てきて歌ってる事。ディレクターの指示に間違いありません。聞きやすい事は確かですが、ちょっと疑問印。
サラステロは私の好きなクリスティン・シグモンドソン(Kristinn Sigmundsson)。彼はスイス人なんですが、英語でも上手に歌ってました。
真ん中のカラフルな、歌舞伎役者のような衣装を来ているのがサラステロ。不思議な国のアリス風のブルーのドレスがパミーナ。一幕と三幕でこの衣装を着用。
パミーナの二幕目の衣装。一幕目ではロイヤルブルーに黒白横縞だったんですが、二幕目では黒白渦巻き縞。三段の段々スカートで、前の部分だけ、開いた扇形に渦巻きがついてます。 ドレスの全部が見られなくて残念! ハイディのパミーナとアレック・シャレイダー(Alek Shrader)のタミーノ。
真っ赤な夜の女王様の衣装、特に帽子はエレクトニクス時代にぴったり! すごく気に入りました。
今回の魔笛は子供の観客が多く、子供の笑い声があちこちで。動物が受けてて、特にパパジーノとパパゲーナが歌ってるときに出てくる鳥の子供が、みんなの喝采を浴びてました。 7月10日追記:今回の魔笛のビデオクリップがあるのでリンクしておきます。 新聞のレビューと写真はこちら。写真は16枚もあります。
2012年7月1日日曜日
サンフランシスコ・オペラのグランドオペラ、「アッティラ」
2012年、夏のサンフランシスコ・オペラの第二弾はヴェルディの「アッティラ」。
お話: フンの国王、アッティラが、ローマ遠征にのぞみますが、捕虜にしたアマゾンのような女性軍団隊長のオダベラの意気が気に入り、自由だけでなく、自分の剣まであたえます。オダベラは野蛮人であるはずのアッティラの見かけとは違う寛容さに心をひかれるんですが、婚礼の夜、父王のかたきであるアッティラを刺殺、仇をとるというお話。
オダベラの他、ローマ王の使者である将軍、エジオと、アッティラの信頼の深い奴隷(昔は征服すると負けた側を奴隷にしたんです。労働者不足だったんですね。)のウルディオと、オダベラの婚約者、フォレスト、がメインキャラクター。2人とも道理あるアッティラにひかれ尊敬しますが、それそれ個人の思惑でアッティラを裏切ります。
エジオの場合: 「ローマ王といってもたかが子供、そんな子供がアッティラと和平交渉を結んだからすぐにローマへ帰れとはなんだ。ローマ王が一番恐れているのはアッティラでなく、武勇で名高いこの私。私はアッティラを討つ!」 というわけで、アッティラが主催する和平協定記念のディナーパーティーで、ウルディオを巻き込んで、アッティラを毒殺する計画を立てます。 写真はイタリア人バスのフェルシオ・ファラネット(Ferruccio Furlanetto)が演じるアッティラと、バリトンのクゥイン・ケルシー(Quinn Kelsey)が演じるエジオで二重唱。
オダベラの場合: 父の仇をとらねばと思いながら、「あのお酒を飲んだらアッティラは死んでしまう!」と、アッティラの手から毒入りの杯を叩き落とします。アッティラは彼女にご褒美として、自分のワイフ、王妃にしようとします。しかし父の仇をとらねば裏切り者になってしまうと、婚礼の夜にアッティラを刺殺。
フォレスト:オダベラを愛するフォレストは、オダベラがアッティラと話してるのを見て猛烈にジェラシー。「愛」という名のもと、オダベラに、「敵方の王と親しく話をするなんて、お前は裏切り者だ!」と決めつけ、最後までプレッシャー。攻めに出る直前に「こんなときに嫉妬してる場合じゃない」とエジオにたしなめられるほど。
アッティラは、「お前達3人は、ローマとの和平交渉が成立しても、まだ裏でこそこそと策略をねってるのか!」を最後の言葉に、オダベラの刃に倒れます。
久々のグランド・オペラ。コーラスの人たち全員とエキストラで舞台はいっぱい。コーラスが入るとオペラに厚みが出て本当に豪華。キリスト教臭いオペラはあまりにプロパガンダすぎて好きじゃないですが、のりとブリーチが効いてそうな白い法衣がライトを浴びてパーッと浮かび上がりサンサンと映えるとスペクタクル! キリスト教徒だと神々しく感じて、思わず十字をきるなんてことがあるんじゃないかと思います。もっともアッティラが支配してたのは5世紀、こんな真っ白な衣装はあり得なかったでしょう。
上のスナップショットで右端の法皇役を演じてるのはサミュエル・ラメイ(Samuel Ramey)。1991年、サンフランシスコ・オペラが同じアッティラを上演したとき、アッティラ役をやったのは彼でした。それを含めてサミュエル・ラメイを何度が聞いたことありますが、ワールドクラスのバスバリトン。現在70才ですが、さすが声は昔のまま。
オダベラを演じたのはベネズエラ人ソプラノのルクレシア・ガルシア(Lucrecia Garcia)。アニタ・ラチベリシビリに似てる、私の好きなタイプの声で、会場を圧倒。目がくりくりと大きく、ポケモンの可愛いキャラクターみたい、それが「胸にさらしをまいて戦う」と、大きな剣を空に振り上げてキッとにらむとなんか可笑しくて、会場に笑い声。もちっと痩せると前か後ろかがよくわかるようになると思うんですけど。2012年夏シーズンで最大のゴージャスな声をしたソプラノでした。
フォレストを演じたのはメキシコ人テナーのディエゴ・トルレ(Diego Torre)。よかったですけど、歌の最後、もうちょっと声をのばして聴衆を詠嘆させて欲しいというその手前で終わっちゃうんで、残念。
たまにはグランド・オペラもいいもんです。ここに初日の公演のビデオをつけておきます。 新聞の写真とレビューを見たい人はこちらへ
お話: フンの国王、アッティラが、ローマ遠征にのぞみますが、捕虜にしたアマゾンのような女性軍団隊長のオダベラの意気が気に入り、自由だけでなく、自分の剣まであたえます。オダベラは野蛮人であるはずのアッティラの見かけとは違う寛容さに心をひかれるんですが、婚礼の夜、父王のかたきであるアッティラを刺殺、仇をとるというお話。
オダベラの他、ローマ王の使者である将軍、エジオと、アッティラの信頼の深い奴隷(昔は征服すると負けた側を奴隷にしたんです。労働者不足だったんですね。)のウルディオと、オダベラの婚約者、フォレスト、がメインキャラクター。2人とも道理あるアッティラにひかれ尊敬しますが、それそれ個人の思惑でアッティラを裏切ります。
エジオの場合: 「ローマ王といってもたかが子供、そんな子供がアッティラと和平交渉を結んだからすぐにローマへ帰れとはなんだ。ローマ王が一番恐れているのはアッティラでなく、武勇で名高いこの私。私はアッティラを討つ!」 というわけで、アッティラが主催する和平協定記念のディナーパーティーで、ウルディオを巻き込んで、アッティラを毒殺する計画を立てます。 写真はイタリア人バスのフェルシオ・ファラネット(Ferruccio Furlanetto)が演じるアッティラと、バリトンのクゥイン・ケルシー(Quinn Kelsey)が演じるエジオで二重唱。
オダベラの場合: 父の仇をとらねばと思いながら、「あのお酒を飲んだらアッティラは死んでしまう!」と、アッティラの手から毒入りの杯を叩き落とします。アッティラは彼女にご褒美として、自分のワイフ、王妃にしようとします。しかし父の仇をとらねば裏切り者になってしまうと、婚礼の夜にアッティラを刺殺。
フォレスト:オダベラを愛するフォレストは、オダベラがアッティラと話してるのを見て猛烈にジェラシー。「愛」という名のもと、オダベラに、「敵方の王と親しく話をするなんて、お前は裏切り者だ!」と決めつけ、最後までプレッシャー。攻めに出る直前に「こんなときに嫉妬してる場合じゃない」とエジオにたしなめられるほど。
アッティラは、「お前達3人は、ローマとの和平交渉が成立しても、まだ裏でこそこそと策略をねってるのか!」を最後の言葉に、オダベラの刃に倒れます。
久々のグランド・オペラ。コーラスの人たち全員とエキストラで舞台はいっぱい。コーラスが入るとオペラに厚みが出て本当に豪華。キリスト教臭いオペラはあまりにプロパガンダすぎて好きじゃないですが、のりとブリーチが効いてそうな白い法衣がライトを浴びてパーッと浮かび上がりサンサンと映えるとスペクタクル! キリスト教徒だと神々しく感じて、思わず十字をきるなんてことがあるんじゃないかと思います。もっともアッティラが支配してたのは5世紀、こんな真っ白な衣装はあり得なかったでしょう。
上のスナップショットで右端の法皇役を演じてるのはサミュエル・ラメイ(Samuel Ramey)。1991年、サンフランシスコ・オペラが同じアッティラを上演したとき、アッティラ役をやったのは彼でした。それを含めてサミュエル・ラメイを何度が聞いたことありますが、ワールドクラスのバスバリトン。現在70才ですが、さすが声は昔のまま。
オダベラを演じたのはベネズエラ人ソプラノのルクレシア・ガルシア(Lucrecia Garcia)。アニタ・ラチベリシビリに似てる、私の好きなタイプの声で、会場を圧倒。目がくりくりと大きく、ポケモンの可愛いキャラクターみたい、それが「胸にさらしをまいて戦う」と、大きな剣を空に振り上げてキッとにらむとなんか可笑しくて、会場に笑い声。もちっと痩せると前か後ろかがよくわかるようになると思うんですけど。2012年夏シーズンで最大のゴージャスな声をしたソプラノでした。
フォレストを演じたのはメキシコ人テナーのディエゴ・トルレ(Diego Torre)。よかったですけど、歌の最後、もうちょっと声をのばして聴衆を詠嘆させて欲しいというその手前で終わっちゃうんで、残念。
たまにはグランド・オペラもいいもんです。ここに初日の公演のビデオをつけておきます。 新聞の写真とレビューを見たい人はこちらへ
2012年6月21日木曜日
ジョン・アダムズのオペラ、「ニクソン・イン・チャイナ」
2012年サンフランシスコ・オペラ、夏のシリーズは、「中国のニクソン (Nixon in China)」で幕開け。
現在のアメリカと中国の関係を考えると、ニクソンの中国訪問はクラっとするくらい遠い昔の出来事のような気がしますが、オペラの内容はすごく今的、筋の組み立て、構成もうまくできてて面白かったです。
キャラクターの造り方が上手。
ニクソン:飛行機のタラップを降りてくると、「この瞬間を世界が実況中継で見てる、あそこにいるのは周恩来、周恩来と握手するなんて! 自分は歴史を作ってる! 世界が自分を見てる!」 幕開けと同時にニクソンのキャラクターをばっちり設定。ブライアン・ムリガン(Brian Mulligan)が演じます。
ニクソン夫人:2幕目に彼女の歌うアリアがあるんですが、「私は貧しい家に生まれた、だから毎日をクリスマスのようにすごすの...」「(今はこうして世界を巡ったり、世界のトップの人たちと挨拶したりしているけど)、運ほどあてにならないものはない、人の運命は生まれた時から定まってるのね。」
当時中国の誇りの、ガラス細工をつくる近代的工場でガラスの象をもらい、「これはものすごく珍しいものなんでしょ?」と尋ねると、「この工場ではこのようなガラスの象を一日数百個作ってます。」ここで場内に笑い声。ユーモアもあるオペラです。
赤い中国とアメリカって、農民が中国共産党のトップになったり、庶民の子供がハイテク会社の社長になって大統領から招待されたり等、個人の階級移動性という点で似たところがあるのが愉快。どちらも革命を経験してるのが共通点。
ニクソン・イン・チャイナというタイトルなので、ニクソン大統領についての話と思いがちですが、2幕目ほとんどを、ニクソン夫人の動向と心の動きに費やしてるのもこのオペラの現代性、またアダムズやアリス・グッドマン(リベレット)やピーター・セラーズ(ディレクター)のジェンダー感が垣間見えて面白い部分。マリア・カノーバというロシア人ソプラノ(Maria Kanyova)が歌います。
毛沢東:いつも秘書のような女性が数人ついていて、痒いところにいつでも手が届くようになってます。男の望む物はイデオロギーには関係無しというポイントをうまくついてます。
老いてるとはいえ観察眼はなかなか鋭く、「建国者の次には、金儲け屋(が出てくる)。」この台詞が数度出てきます。アメリカも中国も同じってことですね。
周恩来に毎日のことはまかせ、将来を憂える老人マオですが、共産中国をつくってひっぱてきたのはすごいな〜と思ってしました。中国が本当にひどい状態だったんでしょうけど。サイモン・オニール(Simon O'Neill)というテナーが演じるんですが、体が大きく背が高いので毛沢東役がぴったり。
ニクソンと周恩来
江青夫人:夫毛沢東の威光をかりて、自己中心的に権力を揮う、現実でもときどきお目にかかるタイプ。こういうのに権力をもたれるとまわりが不幸。「私はマオの妻」という唄がすごくうけてました。ヒュー・ジャン・リー(Hye Jung Lee)という韓国人ソプラノが歌います。
音楽:ジョン・アダムズ(John Adams)の音楽は劇的な部分や、メランコリーな部分、躁や鬱的部分があってなかなか、さすがと思いました。中国にあやかって言うと、空を飛んでる、まだ細くて透明な子供の「龍」のイメージ。すでに古典的音楽の領域に入っていて、これから曲として未来の各時代を飛びながら、いろいろな解釈を経る中で筋をふくらませていくのだと思います。
ニクソン夫人
一幕目、ニクソンがマオに初めて合い、話が始まるやいなや、ニューヨーク株式市場や中国国債発行の話が出ます。マオが「建国者の後には、金儲け屋」と最初に言ったときだと思うんですけど、オバマの演説を急に思い出して可笑しくなりました。オバマがデトロイトを救うため資金融資を決定をした時、そんなお金を費やしても、日本の自動車工業にこてこてにやられてるアメリカ自動車工業が救えるかという大疑問があったんですね。その危惧を払うため、オバマが「(今どん底の)GMの株を買わない方が不思議だよ」とテレビ演説でアドリブで言ったんですよ。このオペラで、政府支出で生じる余波の大きさを具体的に理解。そこんとこは共産圏も資本主義圏も同じですね。
中国主催のディナーパーティー。赤い服を来てるのがニクソン夫人で、高い台に登って演説するのはニクソン。中央のテーブルでニクソンを見てるのは周恩来
構成:第二幕目が、文化大革命中によく演じられたバレエが演じられるんですが、大事な部分なので、もっと本格的に踊って欲しかったです。サンフランシスコ・バレエが演じればいいと思ったんですけど、夏の巡業公演に行ってて留守だったみたい。
中国との国交を開くという先見の明のあったニクソン、ウオーターゲートのようなスキャンダルをおこし、更迭にあいましたが、このオペラのおかげで、永遠の生命を授かりました。歴史の皮肉ですね。
ニクソン・イン・チャイナの初日の公演のビデオをリンクしておきます。
追記:6月22日にもう一回見たんですけど、周恩来もキッシンジャーもニクソン夫人も、数段上手に歌ってました。オーケストラもバレエも良くなってました。特にニクソンを演じたムリガンは、すばらしく、サイモン・オニールを凌ぐ勢い。カーテンコールではムリガン、砲丸投げでもするように、空に向かってやっと拳をふりあげて、体全体で自己のパフォーマンスに満足の意を表現、私も同感! このパフォーマンスで、アメリカを代表するオペラ歌手になる日は近いと思いました。
周恩来が、一言、「私には絶対言えないことがある」というところがあります。なにも言わないのでわかりませんが、彼の養女は、江青夫人の力を背景に逮捕され、拷問のすえ獄中死をとげています。周恩来が失脚することなく、最後まで政府中央で生き延びられたのは、彼の手腕や深い洞察、生涯を捧げての献身的な努力、建国をまとめていく経験だと思いますが、彼女の凄絶な死の代償ということもあるんじゃないかと思いました。もっとも毛沢東も周恩来も、口で言えない、もっとひどい事をたくさん目撃し、経験してきたとは思いますが... そんなこんなの長い中国革命を考えると、デモクラシーがまだましなのは、権力闘争をめぐって、流血に発展する陰謀がものすごく少なくなる点かなと思ってしまいました。お金が取って代わるでしょうけど。
追々記:観客は、白人のお年寄りの人がいつもより多かったです。「骨接ぎ師の娘」という中国からサンフランシスコへ移民してきた女性三代についてのオペラがプレミアされたとき(これも素晴らしいオペラ、長生きすると思います)、中国人が多かったですが、今回は中国人はあまりいませんでした。中国人にとって文化大革命はあまりに生々しい思い出で、舞台で見られるほど遠い出来事じゃないんだなーと思います。。
ニクソン・イン・チャイナの写真、またはレビューを読みたい方はこちらをクリックしてください。
現在のアメリカと中国の関係を考えると、ニクソンの中国訪問はクラっとするくらい遠い昔の出来事のような気がしますが、オペラの内容はすごく今的、筋の組み立て、構成もうまくできてて面白かったです。
キャラクターの造り方が上手。
ニクソン:飛行機のタラップを降りてくると、「この瞬間を世界が実況中継で見てる、あそこにいるのは周恩来、周恩来と握手するなんて! 自分は歴史を作ってる! 世界が自分を見てる!」 幕開けと同時にニクソンのキャラクターをばっちり設定。ブライアン・ムリガン(Brian Mulligan)が演じます。
ニクソン夫人:2幕目に彼女の歌うアリアがあるんですが、「私は貧しい家に生まれた、だから毎日をクリスマスのようにすごすの...」「(今はこうして世界を巡ったり、世界のトップの人たちと挨拶したりしているけど)、運ほどあてにならないものはない、人の運命は生まれた時から定まってるのね。」
当時中国の誇りの、ガラス細工をつくる近代的工場でガラスの象をもらい、「これはものすごく珍しいものなんでしょ?」と尋ねると、「この工場ではこのようなガラスの象を一日数百個作ってます。」ここで場内に笑い声。ユーモアもあるオペラです。
赤い中国とアメリカって、農民が中国共産党のトップになったり、庶民の子供がハイテク会社の社長になって大統領から招待されたり等、個人の階級移動性という点で似たところがあるのが愉快。どちらも革命を経験してるのが共通点。
ニクソン・イン・チャイナというタイトルなので、ニクソン大統領についての話と思いがちですが、2幕目ほとんどを、ニクソン夫人の動向と心の動きに費やしてるのもこのオペラの現代性、またアダムズやアリス・グッドマン(リベレット)やピーター・セラーズ(ディレクター)のジェンダー感が垣間見えて面白い部分。マリア・カノーバというロシア人ソプラノ(Maria Kanyova)が歌います。
毛沢東:いつも秘書のような女性が数人ついていて、痒いところにいつでも手が届くようになってます。男の望む物はイデオロギーには関係無しというポイントをうまくついてます。
老いてるとはいえ観察眼はなかなか鋭く、「建国者の次には、金儲け屋(が出てくる)。」この台詞が数度出てきます。アメリカも中国も同じってことですね。
周恩来に毎日のことはまかせ、将来を憂える老人マオですが、共産中国をつくってひっぱてきたのはすごいな〜と思ってしました。中国が本当にひどい状態だったんでしょうけど。サイモン・オニール(Simon O'Neill)というテナーが演じるんですが、体が大きく背が高いので毛沢東役がぴったり。
ニクソンと周恩来
江青夫人:夫毛沢東の威光をかりて、自己中心的に権力を揮う、現実でもときどきお目にかかるタイプ。こういうのに権力をもたれるとまわりが不幸。「私はマオの妻」という唄がすごくうけてました。ヒュー・ジャン・リー(Hye Jung Lee)という韓国人ソプラノが歌います。
音楽:ジョン・アダムズ(John Adams)の音楽は劇的な部分や、メランコリーな部分、躁や鬱的部分があってなかなか、さすがと思いました。中国にあやかって言うと、空を飛んでる、まだ細くて透明な子供の「龍」のイメージ。すでに古典的音楽の領域に入っていて、これから曲として未来の各時代を飛びながら、いろいろな解釈を経る中で筋をふくらませていくのだと思います。
ニクソン夫人
一幕目、ニクソンがマオに初めて合い、話が始まるやいなや、ニューヨーク株式市場や中国国債発行の話が出ます。マオが「建国者の後には、金儲け屋」と最初に言ったときだと思うんですけど、オバマの演説を急に思い出して可笑しくなりました。オバマがデトロイトを救うため資金融資を決定をした時、そんなお金を費やしても、日本の自動車工業にこてこてにやられてるアメリカ自動車工業が救えるかという大疑問があったんですね。その危惧を払うため、オバマが「(今どん底の)GMの株を買わない方が不思議だよ」とテレビ演説でアドリブで言ったんですよ。このオペラで、政府支出で生じる余波の大きさを具体的に理解。そこんとこは共産圏も資本主義圏も同じですね。
中国主催のディナーパーティー。赤い服を来てるのがニクソン夫人で、高い台に登って演説するのはニクソン。中央のテーブルでニクソンを見てるのは周恩来
構成:第二幕目が、文化大革命中によく演じられたバレエが演じられるんですが、大事な部分なので、もっと本格的に踊って欲しかったです。サンフランシスコ・バレエが演じればいいと思ったんですけど、夏の巡業公演に行ってて留守だったみたい。
中国との国交を開くという先見の明のあったニクソン、ウオーターゲートのようなスキャンダルをおこし、更迭にあいましたが、このオペラのおかげで、永遠の生命を授かりました。歴史の皮肉ですね。
ニクソン・イン・チャイナの初日の公演のビデオをリンクしておきます。
追記:6月22日にもう一回見たんですけど、周恩来もキッシンジャーもニクソン夫人も、数段上手に歌ってました。オーケストラもバレエも良くなってました。特にニクソンを演じたムリガンは、すばらしく、サイモン・オニールを凌ぐ勢い。カーテンコールではムリガン、砲丸投げでもするように、空に向かってやっと拳をふりあげて、体全体で自己のパフォーマンスに満足の意を表現、私も同感! このパフォーマンスで、アメリカを代表するオペラ歌手になる日は近いと思いました。
周恩来が、一言、「私には絶対言えないことがある」というところがあります。なにも言わないのでわかりませんが、彼の養女は、江青夫人の力を背景に逮捕され、拷問のすえ獄中死をとげています。周恩来が失脚することなく、最後まで政府中央で生き延びられたのは、彼の手腕や深い洞察、生涯を捧げての献身的な努力、建国をまとめていく経験だと思いますが、彼女の凄絶な死の代償ということもあるんじゃないかと思いました。もっとも毛沢東も周恩来も、口で言えない、もっとひどい事をたくさん目撃し、経験してきたとは思いますが... そんなこんなの長い中国革命を考えると、デモクラシーがまだましなのは、権力闘争をめぐって、流血に発展する陰謀がものすごく少なくなる点かなと思ってしまいました。お金が取って代わるでしょうけど。
追々記:観客は、白人のお年寄りの人がいつもより多かったです。「骨接ぎ師の娘」という中国からサンフランシスコへ移民してきた女性三代についてのオペラがプレミアされたとき(これも素晴らしいオペラ、長生きすると思います)、中国人が多かったですが、今回は中国人はあまりいませんでした。中国人にとって文化大革命はあまりに生々しい思い出で、舞台で見られるほど遠い出来事じゃないんだなーと思います。。
ニクソン・イン・チャイナの写真、またはレビューを読みたい方はこちらをクリックしてください。
2012年6月5日火曜日
ロサンジェルス郡立美術館
今年も感謝祭のウィークエンドはロサンジェルスですごしました。
久しぶりにロサンジェルス・カウンティー・ミュージアム(Los Angeles County Museum)へ。
新しい入り口になってるだけでなく、美術館は三倍くらい大きくなってました。
最初に見に行ったのはタール・ピット。
タールの穴というか、池というか。
ここから死滅した動物の骨なんかが、今でも、採集されてるようです。
以前は柵なんかで囲ってなくて、すぐアクセスできたんですが、今は誘導するための遊歩道を辿っていくようになってました。でもブクッ、ブクッていうタールの泡は変わらず。
恐竜時代からあったタール・ピットをひとしきり眺めてから、旧館の展示物を見に行きました。
サンフランシスコ近代美術館よりもどてかいカウンティー・ミュージアム。一つ一つの作品も、3倍くらい大きい。
写真:人間が体にペンキを塗っているビデオに、模様のビデオをオーバラップされたもの。フランセスカ・ウッドマンの影響があったのかも。けっこう面白い展示物。
久しぶりにロサンジェルス・カウンティー・ミュージアム(Los Angeles County Museum)へ。
新しい入り口になってるだけでなく、美術館は三倍くらい大きくなってました。
最初に見に行ったのはタール・ピット。
タールの穴というか、池というか。
ここから死滅した動物の骨なんかが、今でも、採集されてるようです。
以前は柵なんかで囲ってなくて、すぐアクセスできたんですが、今は誘導するための遊歩道を辿っていくようになってました。でもブクッ、ブクッていうタールの泡は変わらず。
恐竜時代からあったタール・ピットをひとしきり眺めてから、旧館の展示物を見に行きました。
サンフランシスコ近代美術館よりもどてかいカウンティー・ミュージアム。一つ一つの作品も、3倍くらい大きい。
写真:人間が体にペンキを塗っているビデオに、模様のビデオをオーバラップされたもの。フランセスカ・ウッドマンの影響があったのかも。けっこう面白い展示物。
2012年5月29日火曜日
オレゴン州の洞窟、オレゴン・ケーブス・ナショナル・モニュメントへ その2
書き忘れちゃったんですけど、雪で覆われたマウント・シェスタがハイウェイ5から見えるんですが、形がよいので、ものすごくきれい。マウント・シェスタは、木を切り尽くした山肌が見える夏よりか、雪で隠れてしまうの冬の方がきれい。
ハイウェイ5で、初めて姿を見せたマウント・シェスタの美姿をカメラに納めます。
ハイウェイ5は、マウント・シェスタが見えるあたりから、独特で雄大な景色を見せ始めます。シェスタを通りすぎるとハイウェイは高度が果てしなく下がりつづけ、いつのまにか、まだ春は遠いなだらかな、えんえんと続く牧草地(多分、販売用牧草)に入ります。その規模と荒涼さは異様、芭蕉がこれをみたらどんな俳句を作ったかとか思ってしまいます。ヤレカはそんな放牧地帯に囲まれた陸の島の町。
ヤレカを朝10時頃出発して、オレゴン・ケーブスへ。
ハイウェイ5を離れてハイウェイ199にはいると、すぐに大きな市、グランツパス(Grants Pass)突っ切ります。そこでちょっと買い物したんですが、レシートを見ると消費税がついてなーい。物の値段はカリフォルニアと同じなんですが、消費税がつかない分、つまり8.75%、安くなってます。
ケーブス・ジャンクションから本当の山道、残雪がまだあちこちに残っているオレゴン・ケーブス・ナショナル・モニュメントについたのは午後3時で、3時半の洞窟ツァーに運良く間に合いました。ガイドをつとめる地質学専攻のレインジャーのおじさんを含めて全部で14人が集合。このおじさん、横浜に住んでたことがあって、日本語がわかります。
洞窟の入り口。ツァーは約一時間半で、約全長2キロ。
子供や心臓の悪い人、階段の上り下りに無理のある人、最近ヨーロッパの洞窟へ入った人は入場お断り。ヨーロッパの洞窟に住むこうもりに、鼻のあたまが白くなる病気がはやっていて、それがオレゴンケーブスのこうもりにひろがるのを防ぐため。 天井から下がっているつらら状の鍾乳石。アメリカで販売している、クリスマス用のガラスのつららぐらいの大きさで、10センチくらい。細いです。
レンジャーがツァーに必要な場所だけ、手で電気のスイッチをいれてる模様。洞窟に住んでいるコウモリを保護するためで、もしコウモリがとんできたら、電気を消すという説明が、ツァーの始めにありました。
洞窟内に流れの速い小川が流れてます。
見事なバナナ状鍾乳石。一つの房が一抱えはゆうにある感じ。
まるで暗黒の舞踏会場の大シャンデリアのように天井から、円錐状の壁をつたってつらなるバナナ状鍾乳石。
ちょっと気になったのは洞窟のまわりの森。ナショナル・モニュメントなので保護されてるためか、過去数十年、山火事が起こった事がないようす。木がかなり年老いてるわりに若い木が少なく、枯れ枝が地面に溜まりに溜まった感じ。いったん火災になったらめらめらでしょう。
その晩は、クレッセント・シティに宿泊することにしたので、ハイウェイ199を太平洋側へ向かいました。
ハイウェイ5で、初めて姿を見せたマウント・シェスタの美姿をカメラに納めます。
ハイウェイ5は、マウント・シェスタが見えるあたりから、独特で雄大な景色を見せ始めます。シェスタを通りすぎるとハイウェイは高度が果てしなく下がりつづけ、いつのまにか、まだ春は遠いなだらかな、えんえんと続く牧草地(多分、販売用牧草)に入ります。その規模と荒涼さは異様、芭蕉がこれをみたらどんな俳句を作ったかとか思ってしまいます。ヤレカはそんな放牧地帯に囲まれた陸の島の町。
ヤレカを朝10時頃出発して、オレゴン・ケーブスへ。
ハイウェイ5を離れてハイウェイ199にはいると、すぐに大きな市、グランツパス(Grants Pass)突っ切ります。そこでちょっと買い物したんですが、レシートを見ると消費税がついてなーい。物の値段はカリフォルニアと同じなんですが、消費税がつかない分、つまり8.75%、安くなってます。
ケーブス・ジャンクションから本当の山道、残雪がまだあちこちに残っているオレゴン・ケーブス・ナショナル・モニュメントについたのは午後3時で、3時半の洞窟ツァーに運良く間に合いました。ガイドをつとめる地質学専攻のレインジャーのおじさんを含めて全部で14人が集合。このおじさん、横浜に住んでたことがあって、日本語がわかります。
洞窟の入り口。ツァーは約一時間半で、約全長2キロ。
子供や心臓の悪い人、階段の上り下りに無理のある人、最近ヨーロッパの洞窟へ入った人は入場お断り。ヨーロッパの洞窟に住むこうもりに、鼻のあたまが白くなる病気がはやっていて、それがオレゴンケーブスのこうもりにひろがるのを防ぐため。 天井から下がっているつらら状の鍾乳石。アメリカで販売している、クリスマス用のガラスのつららぐらいの大きさで、10センチくらい。細いです。
レンジャーがツァーに必要な場所だけ、手で電気のスイッチをいれてる模様。洞窟に住んでいるコウモリを保護するためで、もしコウモリがとんできたら、電気を消すという説明が、ツァーの始めにありました。
洞窟内に流れの速い小川が流れてます。
見事なバナナ状鍾乳石。一つの房が一抱えはゆうにある感じ。
まるで暗黒の舞踏会場の大シャンデリアのように天井から、円錐状の壁をつたってつらなるバナナ状鍾乳石。
ちょっと気になったのは洞窟のまわりの森。ナショナル・モニュメントなので保護されてるためか、過去数十年、山火事が起こった事がないようす。木がかなり年老いてるわりに若い木が少なく、枯れ枝が地面に溜まりに溜まった感じ。いったん火災になったらめらめらでしょう。
その晩は、クレッセント・シティに宿泊することにしたので、ハイウェイ199を太平洋側へ向かいました。
2012年5月25日金曜日
KALWがカリフォルニア・ワイン、チャールズ・ショーをラジオで紹介
サンフランシスコ・ベイ・エリアのラジオ局にKALW(91・7FM)という、聴衆の寄付金でまかなっている公共放送があって、私の一番好きな放送局なんですが、先日、カリフォルニアワイン、「チャールズ・ショー(Charles Shaw)」を紹介。わたしもチャールズ・ショーについて前に書いた事あるんですが、ラジオ局の放送内容をちょっと書いておきます。
年間売り上げが550万本から600万本! 発売以来10年間、一本1ドル99セントのこのワイン、「ツー・バックス・チャック(Two-bucks Chuck)」というあだ名で親しまれているんですが、「バック」っていうのは「ドル」のこと。だから2ドルのチャックという愛称。
サンフランシスコの郊外にモデスト(Modesto)という市があるんですが、そのそばのセレス(Ceres)という町に本社があるブロンコ・ワイン・カンパニー(Bronco Wine Co.)が販売元。他に90種のワインのブランドを持ってて、そのほとんどを10ドル以下で販売しているとのこと。
チャールズ・ショーが生まれた理由は、その年、たまたまブドウが大豊作だったため。他のブドウ園のオーナーと相談し、2ドルワインを売ろうというアイデアが生まれたそうな。さらにブロンコの社長のフレッド・フランツィアさん(Fred Franzia)は、「誰もワインに10ドル以上払うべきではなーい!」という強い信念の持ち主。ブロンコは、カリフォルニアのサン・ワキン・バレー(San Joaquin Valley)に4万エイカーのブドウ園をもっていているというのも、フレッドさんの信念を支えている重要な要素です。
でも発売から10年もたっているのに、なぜ今でも1ドル99セントでワインを売っていられるのか?
その理由は三つ。最大の理由はガラス瓶。ブランコはガラス瓶を軽くする事ではパイオニア的存在。通常、一ケースのワインは36ポンドなんですが、ブランコではガラス瓶を軽くして30ポンドに減量。このため、普通、一台のトラックで1200ケースしか輸送できないところを、1440ケースするのに成功。
二つ目は瓶の栓。プラスチックは使いたくないのがフレッドさん。そこでコルクのかすを集めてつくった安い栓でコストを押さえてるそうです。
三つ目は特定の場所でできたブドウを使わず、ブランコのワイン畑でできたぶどうを混ぜて作ってるから。
「でも味は落ちてないよ。もし不味かったら、10年も続けて年間600万本のワインをカリフォルニアで売れるわけがないよ。」
写真はエミリービル(Emeryville)のトレーダーズ・ジョー。
年間売り上げが550万本から600万本! 発売以来10年間、一本1ドル99セントのこのワイン、「ツー・バックス・チャック(Two-bucks Chuck)」というあだ名で親しまれているんですが、「バック」っていうのは「ドル」のこと。だから2ドルのチャックという愛称。
サンフランシスコの郊外にモデスト(Modesto)という市があるんですが、そのそばのセレス(Ceres)という町に本社があるブロンコ・ワイン・カンパニー(Bronco Wine Co.)が販売元。他に90種のワインのブランドを持ってて、そのほとんどを10ドル以下で販売しているとのこと。
チャールズ・ショーが生まれた理由は、その年、たまたまブドウが大豊作だったため。他のブドウ園のオーナーと相談し、2ドルワインを売ろうというアイデアが生まれたそうな。さらにブロンコの社長のフレッド・フランツィアさん(Fred Franzia)は、「誰もワインに10ドル以上払うべきではなーい!」という強い信念の持ち主。ブロンコは、カリフォルニアのサン・ワキン・バレー(San Joaquin Valley)に4万エイカーのブドウ園をもっていているというのも、フレッドさんの信念を支えている重要な要素です。
でも発売から10年もたっているのに、なぜ今でも1ドル99セントでワインを売っていられるのか?
その理由は三つ。最大の理由はガラス瓶。ブランコはガラス瓶を軽くする事ではパイオニア的存在。通常、一ケースのワインは36ポンドなんですが、ブランコではガラス瓶を軽くして30ポンドに減量。このため、普通、一台のトラックで1200ケースしか輸送できないところを、1440ケースするのに成功。
二つ目は瓶の栓。プラスチックは使いたくないのがフレッドさん。そこでコルクのかすを集めてつくった安い栓でコストを押さえてるそうです。
三つ目は特定の場所でできたブドウを使わず、ブランコのワイン畑でできたぶどうを混ぜて作ってるから。
「でも味は落ちてないよ。もし不味かったら、10年も続けて年間600万本のワインをカリフォルニアで売れるわけがないよ。」
写真はエミリービル(Emeryville)のトレーダーズ・ジョー。
2012年5月14日月曜日
オレゴンの洞窟、オレゴン・ケーブス・ナショナル・モニュメントへ その1
先週、前から行ってみたかったオレゴン・ケーブス・ナショナル・モニュメント(Oregon Caves National Monument)に行ってきました。
途中、ハイウェイ5沿いのヤレカ(Yreka)という、聞いた事も無いところで泊まったんですけど、昔は、マウント・シェスタ(Mt. Shasta)を中心とした林業で激しく栄えていたもよう。
どうしてかというと、まず機関車の駅のあること。シェスタ山がまる裸になるまで木を伐採した後、林業はすたれたんじゃないかと思います。バブルにより、過去数年は観光客を乗せて走っていたようですが、今回の不景気で、残念ながら、運航中止。で、機関車には乗れませんでした。
ヤレカの駅(始発駅)
古い面影の町並み。ある時点で発展が止まり、そのまま今日に至るというわけです。
なかなかの規模と輝きのあったダウンタウン。「夏草や、強者どもが夢の跡」的な町。
今どき、こんなアンティークな中国料理店は、サンフランシスコ・ベイ・エリアでは見るのは不可能。一枚上の写真の真ん中よりちょっと右の、白い建物の隣に赤いのが道路沿いに見えますが、それの正面写真。お客さんは入ってましたが、私達は遠慮。安全な線で、ケンタッキー・フライドチキンにしました。
途中、ハイウェイ5沿いのヤレカ(Yreka)という、聞いた事も無いところで泊まったんですけど、昔は、マウント・シェスタ(Mt. Shasta)を中心とした林業で激しく栄えていたもよう。
どうしてかというと、まず機関車の駅のあること。シェスタ山がまる裸になるまで木を伐採した後、林業はすたれたんじゃないかと思います。バブルにより、過去数年は観光客を乗せて走っていたようですが、今回の不景気で、残念ながら、運航中止。で、機関車には乗れませんでした。
ヤレカの駅(始発駅)
古い面影の町並み。ある時点で発展が止まり、そのまま今日に至るというわけです。
なかなかの規模と輝きのあったダウンタウン。「夏草や、強者どもが夢の跡」的な町。
今どき、こんなアンティークな中国料理店は、サンフランシスコ・ベイ・エリアでは見るのは不可能。一枚上の写真の真ん中よりちょっと右の、白い建物の隣に赤いのが道路沿いに見えますが、それの正面写真。お客さんは入ってましたが、私達は遠慮。安全な線で、ケンタッキー・フライドチキンにしました。
2012年5月7日月曜日
2012年、サンフランシスコ・バレエの「ドン・キホーテ」
2012年、サンフランシスコ・バレエのプログラム8は、新制作の「ドン・キホーテ」。
マリア・コチェトコワ(Maria Kochetokova)とタラス・ドミトロ(Taras Domitro)がキトリとバジル。
タラス・ドミトロがストリー・バレエで大役を演じるのを初めて見たんですが(「リミニのフランセスカ」を除いて)、さわやかでキリッとした動きは、嬉しい驚き。彼が初めてのジャンプを見せたとき、観客の息を飲む音で場内がざわっとし、コンパスのようにピシッと伸ばした両足を空中で素早く交差させ、空気を大きくカットしたときは、「オォッ...!」。まっすぐですらりとした足なので、舞台に立っただけでも体の線がリンとしてきれい、ジャンプがさわやかに見えます。
3〜4年ぐらい前に入団したんですが、サンフランシスコ・バレエにとって大きな財産。なんか、ちょっとおでこがはげてきたような感じではあるんですけど、まあそれはいいことにします。
マリアの動きもいつもどおりよかったんですが、タラスの高くて、クリスプな45度ジャンプで、その夜の主役を完全に奪われてしまった感じ。
こういうコンビだと、2人で踊るときはもっと素晴らしい踊りを見せると思ったんですけど、初めてのコンビのせいか、マリアとボアダ(Joan Boada)や、マリアとゲナディ(Gennadi Nedvigin)が持ってるような繋がりが見られず、1+1が3になる踊りの弁証法は成立しませんでした。
今のマリアには、キトリの役がピタッとこない感じがあります。
タラス以上に嬉しい驚きは、ジプシーの女を踊ったコートニー・エリザベス(Courtney Elizabeth)。今まで何度がドン・キホーテで、ジプシーの長に振られた女の踊りを見てきましたが、コートニーの踊りが今までで最高、その怒り、苦しみ、悲しみと哀訴をよーく表していました。振付けがさっぱりして、以前よりかよくなった感じがします。
彼女は一年前に、コールドバレエからソロリストに昇格したんですが、以来、着実に上手になってます。これで、将来、プリンシパルに昇格する道が開けたかも。
カーテン・コールで、普通マリアは、送られたブーケから花を一本抜き、パートナーにあげて感謝の気持ちを表すんですが、タラスにはあげませんでした。何か、気に食わなかったのかも。でも、このコンビには、いずれ成功して、素晴らしい踊りを見せて欲しいと思います。
バネッサ・ゾッホリアン(Vanessa Zahorian)とダビード・カラペティヤン(David Karapetyan)のコンビのも見たんですが、マリアとタラスの踊りの質にはかないません。バネッサとダビードは去年、結婚、以来、ダビードから、ちょっと緊張の感じが抜け、動きがキリッとしなくなった感じ。でも、アドリブ的に、いたずらっ子のような表現や、自然な笑い顔を舞台上で見せられるようにはなったんですが...
ここに行くと上のバネッサの写真(ソース)と、評論が見られます。
ダビード、怪我をして、第二幕目からヨアン・ボアダに変わったんですが、ボアダが見られたのでグー。
総じて、今回のドン・キホーテは、全体に、ミスが多かったです。タラスが着地後にクラっとして手をフロアについたり、キトリの友達を演じたドレス・アンドレ(Dores Andre)の落とした扇子が舞台を走ったり、バネッサの最初のジャンプはタイミングを逃して体が空中で開いてしまうような、危ないのがありました。
衣装は、ジプシーの女の衣装は以前よりかさっぱりし、新しい色を使ったメルセデスのはすごーくよくなってました。またドン・キホーテの夢の場面のサファイア色のチュチュが幻想性をまし、以前のよりかだんせんよくなってました。でもエスパーダの衣装が、お菓子のおまけにつくような、黄色と黒の漫画的雰囲気でがっかり。スター性がなくなってしまったんです。
タラスのジャンプが見られるビデオをリンクしておきます。3分20秒目ごろに見られます。今の彼は、もっと高く、速くジャンプができると思います。5分30秒から、彼のPDが見られます。これはタラスがまだキューバにいたときのビデオ。
ここをクリックするとHuff Post に載ったバネッサとボアダの写真が見られます。
マリア・コチェトコワ(Maria Kochetokova)とタラス・ドミトロ(Taras Domitro)がキトリとバジル。
タラス・ドミトロがストリー・バレエで大役を演じるのを初めて見たんですが(「リミニのフランセスカ」を除いて)、さわやかでキリッとした動きは、嬉しい驚き。彼が初めてのジャンプを見せたとき、観客の息を飲む音で場内がざわっとし、コンパスのようにピシッと伸ばした両足を空中で素早く交差させ、空気を大きくカットしたときは、「オォッ...!」。まっすぐですらりとした足なので、舞台に立っただけでも体の線がリンとしてきれい、ジャンプがさわやかに見えます。
3〜4年ぐらい前に入団したんですが、サンフランシスコ・バレエにとって大きな財産。なんか、ちょっとおでこがはげてきたような感じではあるんですけど、まあそれはいいことにします。
マリアの動きもいつもどおりよかったんですが、タラスの高くて、クリスプな45度ジャンプで、その夜の主役を完全に奪われてしまった感じ。
こういうコンビだと、2人で踊るときはもっと素晴らしい踊りを見せると思ったんですけど、初めてのコンビのせいか、マリアとボアダ(Joan Boada)や、マリアとゲナディ(Gennadi Nedvigin)が持ってるような繋がりが見られず、1+1が3になる踊りの弁証法は成立しませんでした。
今のマリアには、キトリの役がピタッとこない感じがあります。
タラス以上に嬉しい驚きは、ジプシーの女を踊ったコートニー・エリザベス(Courtney Elizabeth)。今まで何度がドン・キホーテで、ジプシーの長に振られた女の踊りを見てきましたが、コートニーの踊りが今までで最高、その怒り、苦しみ、悲しみと哀訴をよーく表していました。振付けがさっぱりして、以前よりかよくなった感じがします。
彼女は一年前に、コールドバレエからソロリストに昇格したんですが、以来、着実に上手になってます。これで、将来、プリンシパルに昇格する道が開けたかも。
カーテン・コールで、普通マリアは、送られたブーケから花を一本抜き、パートナーにあげて感謝の気持ちを表すんですが、タラスにはあげませんでした。何か、気に食わなかったのかも。でも、このコンビには、いずれ成功して、素晴らしい踊りを見せて欲しいと思います。
バネッサ・ゾッホリアン(Vanessa Zahorian)とダビード・カラペティヤン(David Karapetyan)のコンビのも見たんですが、マリアとタラスの踊りの質にはかないません。バネッサとダビードは去年、結婚、以来、ダビードから、ちょっと緊張の感じが抜け、動きがキリッとしなくなった感じ。でも、アドリブ的に、いたずらっ子のような表現や、自然な笑い顔を舞台上で見せられるようにはなったんですが...
ここに行くと上のバネッサの写真(ソース)と、評論が見られます。
ダビード、怪我をして、第二幕目からヨアン・ボアダに変わったんですが、ボアダが見られたのでグー。
総じて、今回のドン・キホーテは、全体に、ミスが多かったです。タラスが着地後にクラっとして手をフロアについたり、キトリの友達を演じたドレス・アンドレ(Dores Andre)の落とした扇子が舞台を走ったり、バネッサの最初のジャンプはタイミングを逃して体が空中で開いてしまうような、危ないのがありました。
衣装は、ジプシーの女の衣装は以前よりかさっぱりし、新しい色を使ったメルセデスのはすごーくよくなってました。またドン・キホーテの夢の場面のサファイア色のチュチュが幻想性をまし、以前のよりかだんせんよくなってました。でもエスパーダの衣装が、お菓子のおまけにつくような、黄色と黒の漫画的雰囲気でがっかり。スター性がなくなってしまったんです。
タラスのジャンプが見られるビデオをリンクしておきます。3分20秒目ごろに見られます。今の彼は、もっと高く、速くジャンプができると思います。5分30秒から、彼のPDが見られます。これはタラスがまだキューバにいたときのビデオ。
ここをクリックするとHuff Post に載ったバネッサとボアダの写真が見られます。
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