2013年6月29日土曜日

「八重の桜」と明治維新

本当に久しぶりに、お上りさん、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を始めからだいたい見てます。

どうして東北地方の入り口にのどかに構えていた会津藩が、明治政府を敵とした戊辰戦争(ぼしんせんそう)に突入していったかという話で、アメリカにいたので明治の歴史に触れる事がなかった東京生まれの私にはまったく忘れられたエピソード、しかも成り行きもかなり複雑。一回見ただけではよくわかんないときがあります。この戦争が「戊辰戦争」と呼ばれるに至った理由は、まだ説明されてません。

一方、このドラマのおかげで、前から不思議に思ってた事が、多少ぼーっと見えてきた感じ。

「八重の桜」によると、会津藩はその縁故の近さから徳川幕府に利用されて京都守護職のような利益少ない役を負わされ、大政奉還の際には、徳川家存続と明治政府の威信を示すために、数千という犠牲者を出すわけです。ショック度で言えば、経済的見地から見ても文化的見地から見ても、今回の「東北大地震」級の出来事だったんじゃないかと思います。



東北は殺風景で暗く、話らしい話もないというのが小学校ぐらいからの印象でした。高校生になると、荘厳できらびやかで洗練された文化を感じさせる中尊寺とかお城とか山形の伝統工芸とかが視野に入りだし、取り柄もないはずの東北に光る場所が点々とあるのって変なのって、思ってきました。

それとは別に、今の政府でも、昔の長州に地理的にも血縁的にも関係のある人が多いのには、ずっと前から気づかざるを得ません。饒舌な元長州地域と、沈黙の東北、なんかわけありのような感じでした。

「八重の桜」の視点から見ると、華々しい明治維新の最大の汚点が会津、そしてそれと連帯した東北諸藩。明治以降、政府は避ければ避ける事もできたし、犠牲を少なくすることもできたこの汚点を、以来無視することで葬むり去りました。人脈的にも政府の中には東北諸藩の出身者が含まれる事もなく、切れてしまい、歴史に素通りされてしまったわけです。だから私のような東北観はそういう当初の方針、後には忘れられてしまった結果を反映して「つくられた」印象だったわけです。

会津の多大な犠牲を考えると、なぜ明治の英雄、そして今でも愛されてる西郷隆盛(おじいちゃんも西郷のファンでした。九州に住んでいたとき、二軒下に西郷さんの弟さん家族が住んでいて、子供達は一緒に遊んだりしてたらしいです)が、なぜ九州の山奥で追いつめられ、死ぬ道を選んだのか、納得がいくような気がしてきました。会津の不条理の責任者の一人として、自分だけ助かるわけにはいかなかったんだなー、明治政府の代わりに自分の命であがなおうとしたんじゃないかと思えてきました。しかしもし生きていて政治にかかわったなら、元奥州からの人材不足を正す方向で動いていたかもしれません。

私が子供の頃は、板垣退助が明治維新を代表する人でしたが、会津攻めの参謀だったからなんじゃないでしょうか。今は昔ほど知名度があるような感じはしません。どちらかというと岩倉具視とか勝海舟とか山県有明などが取ってかわってきたような感じがします。こんどは、このあたりの人たちのドラマをNHKがやって整理してくれるといいんですけど。

「八重の桜」は大地震で大被害を受けた東北を応援するために企画されてたもの。もしあれだけの被害を起こさなかったら、このドラマは企画されることはなかったのかもしれません。そして明治維新のさいに大きな犠牲者を出した東北、そしてそれゆえに忘れさられた東北、忘れられることがキャラクターそのものだった東北が、「どうしてそうなったのか」知られる機会がなかったんじゃないかと思うと、複雑な気持ちです。

PS:「八重の桜」の八重をやってる綾瀬はるかさんという人、おおらかな人で好きです。会津君主や山川大蔵を演じてる人を含めて、多くの人が演技が上手なんで関心してます。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

明治維新のことをネットで閲覧していて、こちらのブログの記事に辿り着き、拝見させていただきました。

『戊辰戦争』の"戊辰"は年号を表しています。
十干十二支で60年周期を表す当時の暦で1868年を表してします。
年号読みでは『つちのえ(戊)、たつ(辰)』

よく『「丙午 ひのえうま」年に生まれた人は○○○だ』とか、元々は中国の暦なので『辛亥革命』の"辛亥"なんかもそうですね。

ピリット さんのコメント...

教えていただき、どうもありがとうございます。なるほど!と思ってます。こういう知識はあるといろいろなヒントとなり、すごく便利ですね。また機会があったらお立ち寄りください。