「武士と印刷」展は来年1月半ばごろまでやってるが、歌川国芳の「武者絵」は漫画ファンなら特にお勧め!
国芳殿が現代に生まれてたら、人気漫画作家になってたに違いない。彼の版画はドラマチックで奇抜、一枚ものでもすごいストリー性がある。
「もし今の人気漫画作家が江戸時代に生まれてたら、版画作家になってたのかも...」なんて思いながら見ました。
もう一つ、すごく驚いたのは、徳川家康は、当時新しいテクノロジーで、韓国から伝わった植字印刷技術を知っていたこと。
活字がいっぱい入った箱から一字一字、文字を拾って文章を組み立ててゆく印刷のやり方が植字印刷。
すべての武将が印刷というテクノロジーに興味を持っていたわけではない戦国時代、今川義元は植字印刷を積極的に取り入れ、利用していたのがわかってる。そこで人質として過ごした家康は、ここで植字印刷技術に触れてたと考えるのが自然。当時の「植字」は、コンピュータによるデスクトップ出版以前まで使用されていた金属製の植字ではなく、「木彫り」の漢字を一つ一つ拾って木枠内に並べて文章を組んで印刷した、韓国生まれの新技術。
家康が豊臣家を滅ぼす決定的な口実となったのは、方広寺の鐘に彫られた「国家安康」。家康という名をわざわざ真ん中で切り離すのは不吉といいがかりをつけたというのは有名な話なので私でも知っていたけど、こういう奇抜な言いがかりをどうして思いついたかについては、前から不思議に思っていた。木枠に並べられた木製植字を見て、「アアァッ!、家康は植字テクノロジーを知ってたからこそ、あんな戦略を思いついた!」と納得がいったのです。これ、もしかしていい線いってる洞察じゃない?
韓国に派兵していた豊臣家はこの印刷技術に触れてたと思うけど「侵略」が目的だったので、興味の対象から漏れてしまったのかもしれない。いや、もしかして知識はあったかも。だから「国家安康」「君臣豊楽」と、文章を立案した坊主にわざわざ書き入れさせたのかもしれない。
この後、漢字植字を使う印刷技術は、絵も文字も同時にデザインできる版画の自在性の前にすたれて行き、大量の新聞を発行する明治時代まで忘れ去られることになるんですが、皆さん、徳川家康と木製植字の展示を見る価値はあります。
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