2016年12月30日金曜日

ヨーロッパ貴族って贅沢?

ドラマなんかでヨーロッパ貴族の生活を見ると、朝は「朝食の間」でごはんを食べる。その後ピンクで統一されたファミリールームへ移り、家族のメンバーが部屋のあちこちに置いてある素敵な椅子やソファに座って本を読んだり、窓際で刺繍したり、おしゃべりをしたりするじゃないですか。NHKの「ダウントン・アビー」なんか見ててもそういう感じ。

「昼食の間」での食事後は薄緑が基調の居間に移って、また思い思いのことに時間を費やしてて、貴族って贅沢だなーと思ってましたが、最近、ひらめきました。「そうじゃない!彼らはノーマッドのように太陽を追って生活してたんだ」って!

数十の部屋がある大きなお城はガスや電気があるわけではない、ましてやセントラルヒーティングなんかないので、冬なんかものすごく寒いに違いない。薪暖房も部屋を暖めるには効率が悪そうなので、一番頼りになったのが太陽光に違いありません。だから1日のうち太陽が一番よく当たる部屋が朝のファミリールームとなり、昼の光が一番入る部屋が午後のファミリールームとなったに違いない。「朝食の間」や「昼食の間」もそんな理由で別々になったんじゃないでしょうか。

20世紀後半に入ると、お城は維持するのにお金がかかりすぎるので売却したり、お城はあっても敷地内に今風の家を建てて、普通のお家に住んでたりしてるじゃないですか。

こんな閃きがあったのは、光熱費代を削るにはどうしたら良いかを私なりに考えたため。

二階は夏は暑くてとっても居れませんが、冬は太陽の日を燦々と浴びてポカポカ。板の間がほとんどの一階は夏は涼しいんですけど冬は寒〜くてブルブル。床や壁等を暖めるだけでも時間と費用がかかります。そこでこの問題を解決するために、冬は二階中心の生活をすることを思いつきました。つまり、太陽を追う生活に変えたんです。全身に暖かい日の光を浴び、つい知らぬ間にウトウトしてしまう午後3時... 最高です。

来月の光熱費代が楽しみです。

PS: 「ダウントン・アビー」はサンフランシスコで見てたんですけど、日本では日本語に吹き替えられてるようなので残念!

2016年12月13日火曜日

セブンイレブンの鯖の味噌煮

英会話の生徒が「セブンイレブンの鯖の味噌煮は美味しい」と言ってたので買ってみたら美味しい。

自分で作るよか美味しいので、コンビニフードを見直した。

2016年12月5日月曜日

印刷博物館の「武士と印刷」展、武者絵 etc

武士と印刷」展は来年1月半ばごろまでやってるが、歌川国芳の「武者絵」は漫画ファンなら特にお勧め!

国芳殿が現代に生まれてたら、人気漫画作家になってたに違いない。彼の版画はドラマチックで奇抜、一枚ものでもすごいストリー性がある。

「もし今の人気漫画作家が江戸時代に生まれてたら、版画作家になってたのかも...」なんて思いながら見ました。

もう一つ、すごく驚いたのは、徳川家康は、当時新しいテクノロジーで、韓国から伝わった植字印刷技術を知っていたこと。

活字がいっぱい入った箱から一字一字、文字を拾って文章を組み立ててゆく印刷のやり方が植字印刷。

すべての武将が印刷というテクノロジーに興味を持っていたわけではない戦国時代、今川義元は植字印刷を積極的に取り入れ、利用していたのがわかってる。そこで人質として過ごした家康は、ここで植字印刷技術に触れてたと考えるのが自然。当時の「植字」は、コンピュータによるデスクトップ出版以前まで使用されていた金属製の植字ではなく、「木彫り」の漢字を一つ一つ拾って木枠内に並べて文章を組んで印刷した、韓国生まれの新技術。

家康が豊臣家を滅ぼす決定的な口実となったのは、方広寺の鐘に彫られた「国家安康」。家康という名をわざわざ真ん中で切り離すのは不吉といいがかりをつけたというのは有名な話なので私でも知っていたけど、こういう奇抜な言いがかりをどうして思いついたかについては、前から不思議に思っていた。木枠に並べられた木製植字を見て、「アアァッ!、家康は植字テクノロジーを知ってたからこそ、あんな戦略を思いついた!」と納得がいったのです。これ、もしかしていい線いってる洞察じゃない?

韓国に派兵していた豊臣家はこの印刷技術に触れてたと思うけど「侵略」が目的だったので、興味の対象から漏れてしまったのかもしれない。いや、もしかして知識はあったかも。だから「国家安康」「君臣豊楽」と、文章を立案した坊主にわざわざ書き入れさせたのかもしれない。

この後、漢字植字を使う印刷技術は、絵も文字も同時にデザインできる版画の自在性の前にすたれて行き、大量の新聞を発行する明治時代まで忘れ去られることになるんですが、皆さん、徳川家康と木製植字の展示を見る価値はあります。