渋谷の観世能楽堂で「半蔀(はじとみ)」を見られたのは本当にラッキーでした。津田和忠さんという能楽師さんが、観世能楽堂の移転より、この場所での能演は終わりつつあるという意識もあって演じた番組の一つだと思います。「半蔀(はじとみ)」とは、棒で支えて開ける、突き上げ窓のことを言うそうです。(下の写真)
お話は京の僧が90日修業後に、修業で使った花の供養をしていると、一人の女が現れ、五条に住んでいるものと名乗って白い夕顔の花を供えて消え失せます。五条は昔、源氏と一夜の契りを結んだ夕顔が住んでいたところ。不思議に思った僧が行ってみると、半蔀を下げた家から夕顔の霊が現れ、源氏との恋の思い出を語って踊り、再び半蔀の中へ消えて行きます。僧は目が覚め、果たしてこれは夢だったのか、それとも現実だったのかと思うところで終わります。
うす桃色(うす鮭色?)の袴に、3重に白の重ね着をした上に白いトップを重ねた夕顔の姿の大きさに気づいたごろから舞台に引き込まれてしまいました。それまで観客として、お面と気持ち的に関係を持てなくてよそよそしい感じがしてたんですが、ある瞬間から舞台上の夕顔が急に息づき、動き始めたたのです。私の座ってる方向に歩いてきたとき、お面の目と私の目が真っ向からばっちり合い、こんなことは想像もしてなかったので、すごい衝撃でした。
私が舞台に吸い込まれたのには、太鼓奏者、佃良勝さんの掛け声に負うところが大いにあったと思います。佃さんの掛け声の表現力は素晴らしいの一言、次第に消えいるように止んだり、上がり調子や下り調子、またはフラットでスィッと消えたり、力が入って終わったりと自由自在で、しゃべられる言葉がよくわからなくても、舞台の感情、人物の感情が耳から心に響いてきます。その変幻自在の掛け声のおかげで、雲に覆われた月の明かりに照らされた嵐山を背景にしんしんと低く入ってくる霧や、蕾みのほころんだの梅の木の枝々を通しての夕顔の姿を、私は見たのです。すごく感動しました。
写真上はここからのスナップショット。ここでは夕顔は赤い袴をはいてますが、観世能楽堂での能演ではうす桃色でした。下の写真は開演前の観世能楽堂です。
英語版はこちら。