2013年2月19日火曜日

お上りさんが思うに....現代日本鎖国論

最近日本に帰ってきた、新お上りさんの私が思うに...

インドはもちろん、シンガポールやフィリッピンのような、これからますますのびる環太平洋諸国では英語が共通語として使われてるし、アメリカの影響力はそうは簡単にころばないし、今まで国際語として流通している実績があります。ですからやっぱり英語はできたほうがよさそう。社会人になったばかりの人は、今からでも遅くはない、勉強した方がいいと思います。

日本は一生懸命、英語教育に力をいれてるけど、高校段階からアジア言語を選択科目に入れるべき。ベトナムは中国に寄りすぎと言われるけれど、海に周りを囲まれてて魚を食べるせいか、感性が日本人と似ていて気が合うというのが、私がシリコンバレーでベトナム人と働いた感想です。

日本に帰って来て気になるのは日本人の反応の一様性。目撃(感撃というべきでしょうが)するたびに「ええーっ」って、新鮮にびっくりしてます。なんで全員、同じ所で、同じ反応して、同じ結論にいくの? 第一、「空気を読む」っていうのがおかしい。これって、皆、同じ感じ方をしてるってのが前提。空気を読まないようにして、もしくは無視して、自分の見方、感じ方を養うよう提案します。

文化が大きな透明のまゆだとしたら、人はその中のかいこ。感性はまゆの形に規定されてて、一つの文化には一つのまゆがある。文化によっては穴がいっぱい開いてるのとか、日本みたいにタイトなのがあるんじゃないでしょうか。そういうのが作る無形なんだけど、有形のようなしっかとした思考の一様性に日本人が気がつかないのは当前と言えば当然、だって中にいるから。「感性」は「考え方」のベース(基板)と思いますが、日本人の感じ方、考え方以外に、他の感じ方、考え方がある、他のロジックがあるとは思ってもない人、想像すらできない人が99パーセントを占めるんじゃないかなあ。

「島国」という地理的条件もあるのでしょうが、「鎖国」という260年も続いた制度が、心の「鋳型」となって今も呪縛してるんじゃないかと思い始めました。この鋳型、「子育て」を通じて親から子へ、子から孫へ、孫からその子へと伝わって今日の日本人の精神構造として定着してるんじゃないかと思います。そのため99パーセントが「海外旅行」や「映画」や「物語」や「科学」を通して「海外」に接しても、その「鋳型」で見て解釈し、「鋳型」にぴたりとはまらない部分は無視して、「日本が一番いい」となるんでしょうか。日本だって不便なところもあります。最も、アメリカの「不便」な場所は日本の僻地の比べ物にはならないほど、超僻地だと思いますが、えー、あんたはんが「日本が一番いい」という時、本当は「東京が一番いい」って言っていて、毎日自殺者でどこかの路線が不通になる実態はすっかり忘れてるんじゃないの。毎日、どこかの路線が不通になるっていうの、今だに慣れてなくて、「へーっ」て見るたびに驚いてます。

上から下まで鎖国鋳型が心の形となってるとしか考えられない東京の日本人。もっとも「井の蛙」内上部層にとっては、心の鋳型を保ってもらったほうが国民の群衆行動を予測しやすいので、変える動機はないと思いますが、心の呪縛を解かないと日本は、もう米・仏・英等だけじゃない多国籍(マルチ)国際社会に対応出来なくなり、より弱くかぼそくなるんじゃないの。

日本的に解釈するのが悪いと言ってるんではありません。鋳型に入れて見るのにも発見がある思いますが、これからは鋳型を柔軟に変形させる力と自在さが必要なんじゃないの。

日本人はだいたいの人がよく物を知ってるし、聞けばいっぱしの考えを表現できます。日本語による日本の知識が豊かで思わず尊敬の念がわきます。ところがそれとは対照的に、日本以外の知識になると急に小学校程度。この落差が不思議、不可解。日本でも外国のこと学べるはずなのに。

米黒人兵が「日本大好き、いつまでも駐在したい」って言うんで、怪訝に思い「どうして?」と聞くと、「安全だから。」この答えは印象に残りました。

確かに黒人にとっては日本は安心して暮らせる場所。銃の多いアメリカ、ニューヨークなんかにいたら、けんか売られたり、差別に頭に来たりで、「死」と面と向かい合う機会が多い黒人にとって日本は天国なのは本当。

4月23日追記:この続きというか、補足ブログをリンクしときます。