2013年12月28日土曜日

中之条の「目の青い赤とい名の白猫」

中之条ビエンナーレについてのブログで、

「膝丈ズボンをはいた、子グマのプーさん的な伯爵綽々(はくしゃく しゃくしゃく)さんという人を滞在中2度も別々の場所で見かけ、何者なのかなーと思ってたら歌人でした。伯爵さんの短歌をいくつか書き留めておいたんですけど、紙をなくしちゃったみたい。」

と書いたら、それを伯爵綽々(はくしゃく しゃくしゃく)さんが見て、中之条で発表した歌をコメントに書き込んでくれました。伯爵さん、どうもありがとう。なお、伯爵さんの本当の歌人名は「北夙川不可止(きたしゅくがわ ふかし) 」さんだそうです。クールな名前!

北夙川不可止さんの歌をコメントのなかに入れたままにしておくのはあまりにももったいないので、ペーストします。

”北夙川不可止 さんのコメント...

ぷーさんですw  僕の短歌ですが、中之条で発表したのは以下の通りです。

風が吹くひうひうと吹く夜の獄の孤獨を猫の聲が撫でゆく

轟々と水音高き四萬川の碧く澄みつつ風を呼びけり

山深き出湯の里は靜かにて夏もあい冷たきせせらぎを聽く

枯れ葉積む街道の果て茅葺の舊家の庭に絶えぬ水音

桑を食む蚕の音のざわざわと靜かな里の午後を震はす

赤といふ名の白猫の目の青く六合(くに)村の名は去年消えたり

散りかけし櫻に小雪吹きつくる四萬の眞晝間空は晴れつつ

浴場は洋舘にして蒸風呂に籠れば翁の笛に驚く”

中之条でなくて、都下御嶽渓谷の写真。

猫の歌はモンドリアン風にカラフル。モンドリアン風の壁なんて村にあるはずないんですけど、そんな壁に向かって白猫が猫らしくゆるゆると歩いて行き、猫が振り返ったとき、青い目をしてるのがわかったというのが私のイメージ。六合村は中之条に吸収されて本当に無くなったんですけど、昔はかいこで栄えていたらしい地域なので、シャム猫が当時、村に紹介されたのかもしれません。それとも「青い目」は伯爵さんの想像なのかな。

蒸し風呂の歌は、和風の旅館に泊まったら洋風の蒸し風呂、「へぇー」と思ってたら笛の音が空間を切るという、ちぐはぐなアンバランスが面白いなというのが私の感想ですけど、もしかしてぜんぜん違う事なのかもしれません。

「ひうひうの夜の獄」は凄いっていう感じ。「待つ」ことが無いのは良いことでもあるのね。

伯爵こと北夙川不可止さん、歌を書き込んでくれて、そして「歌」と「句」の違いを教えてくださり、たいへん、どうもありがとうございました。2014年が北夙川さんにとって素晴らしい年になるように!

2013年12月7日土曜日

新国立劇場の「ホフマン物語」

サンフランシスコでは見逃した「ホフマン物語(Les contes d'Hoffmann)」を見に行きました。新国立劇場は初めて。観客席内部の年季の入った木の床の温かみ、背もたれが長くてリラックスしやすい座席などグー。サンフランシスコ・オペラハウスは客席数が約3200、バークレーの(カジュアルな)ゼラバック・ホールは2100席くらいですから、それより小さいんですけど、ゼラバックよりはえらく大きく感じるし、座席よし、品格ありで好きになりました。

そんな新国立劇場サイズのオペラって、想像してたよりもっとエンジョイできました。合唱団(新国立劇場合唱団)はエネルギッシュだし、ホフマンの第三の恋人、ジュリエッタを演じた横山恵子さんの厚みも深さもある声とアンドレをやった高橋淳さんの声もよかったでした。こういう経験ある声の人を聞けるとは思ってませんでした。また第二の恋人、アントニアを演じた浜田理恵さん、歌の最後がちょっとぶれちゃった感じ、野心よりか不安を強調した日本的女が彼女の解釈だったんですけど、日本では成立しやすいストーリーかも。彼女もよかったです。

アルトゥーロ・チャコン=クルス(Arturo Chacón-Cruz)のホフマンはあまりピンときませんでした。スカラを含めて同役こなしたというには、なんだかよくわかんないんですけど、役者としてはちょっとスロッピーで脇役化しちゃったという感じ。サンフランシスコ・オペラで2012年に彼がリゴレットでマントヴァ伯爵役をやった事あるんですけど、その時は声のプロジェクションがあまり良くなくてがっかり。新国立ではもっとボリュームが出るんじゃないかと思ったんですけど...

アンジェラ・ブラウワー(Angela Brower)は、私が見逃したサンフランシスコ・オペラのホフマンでも同じニクラウス役を演じたようなので楽しみにしてたんですけど、まず衣装が気に入りませんでした。ちょっと素直すぎる感じ。

オーケストラは驚くほど素晴らしかったです。

というふうに、個々、いろいろいい点があったんですけど、一つ一つが独立しちゃってて、全体が結びついた一体感がないかんじ。例えばオーケストラは舞台の上とは切り離されて単独演奏をしてるみたい。ホフマンはホフマン、ダンサーは除いた人たちの踊りは踊りと、各部分が舞台という仮想空間上で絡み合わない、各吹き出し内部の出来事のようなんです。こういうことからだと思うんですけど、エンジョイしましたがなんか不消化感が残り、家に帰っても?という感じでした。マーク・S・ドス(Mark S. Doss)さんがバラバラな部分をつなげてたっていう感じ。彼は真のプロって言う感じで、各役目をしっかり演じて歌も安定しててよかったです。

ミューズの歌を聞いてるとなぜかやたらとお酒が飲みたくなります。飲んでるシーンが多いせいからじゃありません。「死の都」の夢のような歌を思い出させます。