2013年8月26日月曜日

ビックサイトで鉄道模型コンベンション

高校時代のクラスメートから東京ビックサイトでの助っ人頼まれ、鉄道模型コンベンションに一日参上。

そのちょっと前テレビのニュースを見てたら、どこかの路線を走っていた車両が最後のお目見え、そのイベントに鉄道ファンが押しかけて云々という報道に、このクラスメートが首からカメラをぶらさげて、にやにや笑い顔で全身写っているではないですか。本格的鉄道ファンだったんだなー。

ゆりかもめの「国際展示場正面」駅で下車、ビッグサイトのシンボルみたいな赤い立体マークがカリフォルニアチックで気に入りました。

コンベンション会場に一般人の入場が始まると、思ってたよりか賑やかで盛大。

写真:写真を背景に走る電車

大小さまざまな電車の模型が、模型の山や川や町中や写真の風景を背景にして、ところ狭しとばかりウィーン、ウィーンとうなり音を立てながら走り回ってるのはけっこう圧巻。会場のあっちこっちで上がったり下がったりしながらぐるぐる回ってる。こういう真に迫ったミニチュアの世界に夢中になる人たちの気持ちがなんとなく分かり始めます。

写真:よーく作ってある箱庭を走る鉄道模型。

コンベンションを訪れる鉄道模型ファンは、Tシャツに袖付きシャツをはおる、ちょっとお腹のでかかった30代から40代の男性が主流。女性は少ないんですけど、それでも最近は増えてきたそうな。話した感じではエンジニア女子のような人が多かったです。子ずれのおとうさんのような親子ファンもけっこういて、(女性でなくて)子供達がコンベンションに(元気な)花を添えてました。中国人やドイツ人も来てました。



「三番ホームに電車が来ます。... 2番ホームに列車が通過します。... 危険ですので白線の内側に下がってお待ちください」等の女性の声のアナウンスには聞き飽きててうんざりという感じが一般人にはするじゃないですか。しかし鉄道ファンには究極の愛の対象なのか、模型列車が模型駅を通過するたびに甘い声のアナウンスを(頻繁に)流してるブースがありました。何度見ても心騒ぐ模型電車、何度聞いても愛しいアナウンス、ああ、心揺さぶる声だけの存在、そんな松本零士的親密な感情を誰にも遠慮せずに表現できるオタク的ファンの安心感を感じました。

写真:鉄道模型より箱庭的風景すごい。河合隼雄氏がみたらすごーく喜ぶに違いない。



上の写真は私が一番気に入ったブースの展示物の一つ。下のハンドルをまわすと半球の部分がぐるぐる回り、半球底の新幹線の風景が360度かわるしくみ。りんごやさんまや貝などの各地の名産が見られる。

作者曰く「私は実は鉄道ファンじゃないんですよ。でもこういうの作るのが大好きで出品してるんですよ。」



同じ人の作品。背景の青がきれい。「うにを入れて『あまちゃん』にしてNHKに連絡したらきっと官九郎さんが気に入ってくれますよ。」これ、本気発言です。

8月26日追記:もしかしてこの人たち(ご夫婦のようでした)、「あまちゃん」の中の商工会議所にある模型を作ってる人たちなんじゃないかと思い始めました。

2013年8月9日金曜日

アンディ・ウォーホールの誕生日記念のウェブコム

8月6日はアンディ・ウォーホール(Andy Warhol)のお誕生日。それを記念してペンシルバニア州のピッツバークにあるアンディのお墓が24時間ウェブコムで実況中継されてます。

それで見ると、アンディのお墓ってすごくジンプル。アメリカのお墓の形式で一番一般的なもので、名前の下に生年月日とこの世を去った日が彫られているだけ、書体も墓石用としては一番一般的なもの。キャンペルスープのコピーで有名になったアンディですから、最後までその線で貫いたんですね。



本人はまっさらな墓石にして欲しかったらしいですが、「figmentでもいいかな」のようなことを言ったそうです。この言葉、「虚構」とか「作り事」から「創造、発明」とか「想像力、発明力」まで意味しますけど、どれ、もしくはどのあたりをアンディが意図したのかわからないので訳さないでおきます。

見てると昼夜かかわらず人が来ていて、お参り人同士が話してるのが見えます。「やっぱりアメリカ」シリーズに入れたいんですけど、そうするとタイトルが長くなりすぎるのでやめときました。

アンディ・ウォーホール美術館が主催のこのイベントは「フィグメント・プロジェクト(Figment Project)」と名づけられてます。

2013年8月5日月曜日

仕事の探し方の違い: アメリカと日本

日本に帰ってきてやっと最近、日本とアメリカ(と言ってもカリフォルニアですが)の仕事構造の違いが少しずつわかってきました。

仕事探し: 私の住んでたカリフォルニアの話ですけど、サンフランシスコのような都市には職業斡旋業屋さん(Employment Agency)がいるので、それを使って仕事探しをしましたが、2005年以降は職探しも応募も全部インターネット。そのため職業斡旋業もインターネットに出てきてます。斡旋業を通して就職すると、雇い主が年俸の三分の一くらいの斡旋費を業者に払います。これが一般的だけど、個人が斡旋業者に払うシステムもあるので、最初にチェックしといたほうがいいです。

シリコンバレーの会社は自社のホームページで直接募集。まずお目当ての会社のホームページに行きます。するとメニューに「Career(職業)」とか「Hiring(雇用)」っていう項目があるのでクリックすると「職業」のトップページへ到着、そこから「キーワード」や「職種」や「場所」とか、もしくは「何も指定しない(All jobs)」で仕事検索します。そこで自分のアカウントを作り、レジュメ(職歴書)をポースト(提出)しておくこともできます。

「この仕事やりたい!」とか「これならできる!」っていうのがあったら、まず職歴書(レジュメ)を作成。学生だったら専門に勉強・研究したこととか、アルバイトやボランティアの経験を書きます。仕事をしてる人はもち、今までの職歴。

「カバーレター」は日本で「添え状」とよんでるやつですけど、非常に重要。私は通常3パラグラフ、仕方ないときは4パラグラフで作りますが、まる一日かかります。カバーレターでは褒められたことがありますが、AとBとCができる私を雇い主側が雇わなくてはならない理由を書くのです。空想ではだめですが、実際できることは最上級の言葉を使って恥ずかしげもなく書く度胸がなくてはなりません。私の経験では、自分が本当にできなければ度胸のあることは書けないので、また例え書いたとしても面接ではわかってしまうので、「こんなにできる!」とどうどうと書いていいのです。特に女性は自分の能力を過小評価する傾向がある(男性は過大評価の傾向がある)からです。とはいっても、ここが私が私の中の日本人に決別して書くところです。英語力が試されてると思うべきです。

アメリカには日本の「履歴書」にあたるものがありません。だから写真を提出する必要はないし、年齢も誕生日も記入しません。誕生日は就職が決まった後、健康保険や生命保険、年金や雇用保険証等作成のために初めて必要になります。

「既婚か未婚か」のようなことも聞かれません。仕事に関係ない個人的なことを聞くのは「雇用の機会均等法」という連邦法と州法の両方の違反になり、会社はかなりシリアスな罰金を払わされるだけでなく、連邦政府や州政府からの補助金(grant)がキャンセルされます。



アメリカでも50年くらい前は年齢や既婚・未婚は聞かれたらしいですが、そういう理由で雇用・不雇用を決めるのは「差別」とされ、連邦政府主導で意識改革に乗り出し、今では仕事をする能力とは無関係というのが定着してます。ですから私もこういうたぐいの事は聞かれた事がなかったので、日本で職歴書の他に「履歴書」が必要な事を聞いたときはびっくり、「写真」が必要と言われたときは、「えーっ、なんでですか」って聞いてしまいました。そしたら本人かどうかをチェックするために必要とのこと。でも写真でわかるのかなー。証明書用写真ボックスでとった写真って、本人とは似ても似つかないって思うんですけど。アメリカではすべての人が「社会保障番号(social security number)」を持っててこれがI.D。でもこの番号も、雇用が決まってから初めて聞かれます。

アメリカと日本のもう一つの大きな違いは、雇い主側はかなり詳細な「職務明細書(Job description)」を用意してること。それに比べると日本のは簡単で短いので、日本の人事担当の方がアメリカより楽してると思います。職務明細書はその仕事に応募するかどうか判断するのに必要だし、カバーレターを書く際、参照にして繰り返し読むので大事です。

アメリカと日本の大きな違いは年齢。年齢はアメリカでもプラスにはなりませんが、雇われると翌日からすぐ仕事ができる即戦力になるので必ずしも不利とはなりません。(会社によってはオリエンテーションが1日から二日あるのでその後ですけど)。2012年までアメリカで働いていた私の場合、年齢が問題になった事は一度もありませんでした。第一、職歴書では年齢はわからないし、この職歴は求人の要求事項にあってると判断されると面接に呼ばれます。そこで「この人、オッケー」となれば仕事をオファーされます。面接中、質問にちゃんと答えられなかったり、なんか危なそーと判断されれば仕事はオファーされませんが、年齢は雇用後までわからないので、年齢より実力の方が物を言います。

日本と違ってアメリカではさまざまな年齢の人がコンパチの仕事をしてたり、同種の仕事をしてたりします。また同じ時期に採用されたからといって年齢が同じなんてことはありません。年代の違いも「異文化」の一つ。ですからいろいろな年齢の人たちと働けるのは、いろいろな文化的背景を持った人たちと働けるのと同様に基本条件です。そこが同年代とばかりつるんでる日本と違います。

日本とアメリカ(もしくはカリフォルニア)の就活の違いは、仕事に対する考え方、個人の能力の評価の仕方、生き方考え方の違いを表象。しかし仕事の仕方もその時々の都合で人間が作った人為的なもの(文化)ですから、変えようと思えばいくらでも、いとも簡単に変えられるもの。奥さんがいて食事や洗濯をしてくれるという前提のもとで長時間労働している日本人の仕事の仕方、実情は異なってるのですから変えるべき。今まで長い間変わらなかったのが不思議です。